「下手ですけどいい?」新世界の似顔絵屋、客にまず聞く

松尾由紀
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 大阪・通天閣近くで似顔絵を描く女性がいる。60歳を超えてから絵を学び、70歳過ぎで似顔絵屋を始めた。客にまず聞くのは「下手ですけど、本当にいいんですか?」。コロナ禍でもっか休業中だが、客の前で再びペンを執る日を心待ちにしている。

 通天閣のおひざ元にある新世界市場(大阪市浪速区)。大阪府河内長野市の永澤あられさん(73)はここのアーケードで毎週日曜日、似顔絵屋を開いてきた。

 2児がいる専業主婦だったが、家計を安定させたいと40歳で営業職の正社員になり、60歳まで勤めた。定年退職後、62歳で大阪芸術大の通信教育学部に入り、漫画制作を学んだ。

 「なにかを表現したくて。愚痴ばかりの人生になっていくのは嫌だった」

 スクーリングで体育の授業もこなし、5年間で卒業した。卒業制作で戦後の女性の人生をテーマにした漫画を描き、「パンパンハウス物語」(風濤〈ふうとう〉社)として2014年に出版された。

年末に現れた「忘れられない客」

 新世界で店を開くようになったのは偶然だ。市場で18年から毎週日曜に開かれてきたイベント・Wマーケット。個性豊かな人たちが集まり、1日限りの店を開く。テレビで筆文字アートの出店が取り上げられたのを見た永澤さんは「私もやりたい!」と思った。

 何の縁もなかった新世界に飛び込み、Wマーケットの出店者になった。すでに描いた絵を売るのではなく、似顔絵屋にしたのは、「私が描いただけの絵を買ってもらえるわけはない」との思いがあったからだ。

 似顔絵のお代は1千円。水性ペンを使い、A4判の厚紙に仕上げていく。完成までは1時間ほどかかる。その間、問わず語りに人生を語っていく人が多い。

 「どっちかというと隠さなあかんような話もしてくれる。白髪のおばあさんだと安心感があるのかも。年を重ねることは、お商売にいい面もあるみたい」

 忘れられない客がいる。年末に現れた男性。スマートフォンに保存した幼い我が子の写真をもとに、年賀状用の絵を描いてほしいと頼まれた。離婚し、一緒に暮らしていないという。

 永澤さんが描き終えると、男性はポケットからありったけの小銭を取り出して置いた。1千円を超えた分を返そうとしたが、受けとってくれなかった。

「いいことあるもんよ」

 「新世界ではいろいろな人に会える。食べていく稼ぎにはならないけれど、ここに来るのが楽しい」

 昨年12月、新世界での出会いを絵と文章で表現した著書「今日も市場の片すみで下手な似顔絵描いてます。」(税別1千円、風濤社)を出版した。

 おもしろい話もほろりとする話もある。「実話も、個人が特定されないように脚色した話も、私が想像した話もあります。物語として楽しんでもらえたら」

 新型コロナウイルスの影響で、Wマーケットは昨年春から中止になったまま。似顔絵屋も休みが続くが、Wマーケットが再開したら必ず参加するつもりだ。

 「新世界で似顔絵を描くのは私の生きがい。人生後半、いいことあるもんよ」(松尾由紀)