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 岩手や山形、石川で生まれ育った私たちは、「沖縄」とどう向き合っていけるのだろうか。2年前の2月24日、沖縄の人たちが県民投票で出した答えにふれ、考え、模索を続ける20、30代がいる。(岡田将平、島崎周)

「当たり前にしたくない」

 沖縄県宜野湾市に住む渡部鈴華さん(21)は時々、フェイスブックで米軍ヘリの音や間近でヘリを見た話を投稿する。自分とつながりのある県外の人にも現状を知ってもらいたいからだ。

 山形県内陸部の小国町出身。高校の修学旅行で沖縄戦の戦跡を巡り、命を奪われた人に思いをはせた。辺野古も訪れ、「こんなきれいな海を埋め立てるんだ」と感じた。もっと沖縄のことを知りたいと2018年4月、米軍普天間飛行場そばの沖縄国際大に進んだ。18年12月14日、辺野古の海で土砂投入が始まった時は、海上から現場を見て、何もできないことに悔しい思いをした。

 大学の講義中、耳をふさぐほどの米軍機の騒音が聞こえても、沖縄出身の同級生たちは平然としていた。辺野古の基地建設のための埋め立てに賛成か、反対か。1年の終わりごろにあった県民投票のときも、基地が話題になることはほとんどなかった。「県民投票、もうすぐだね」。そう切り出しても話は広がらなかった。

 故郷ではどこを見回しても山があったように、沖縄で生まれ育った同世代にとって、基地や移設問題があるのは当たり前。だから騒音に反応もせず、基地の話もしないのかなと考えた。「変わらない」というあきらめもあるのでは、と思う。でも、渡部さんは米軍機に怖さを感じるし、基地のある環境が当たり前でいいとは思えなかった。

 県民投票では「反対」を選んだ。「少しでも国の姿勢が変わってほしい」と期待したが、7割が反対したにもかかわらず工事は止まらず、「何か変わったことはあるのだろうか」と落胆した。それでも、県外でちょっとでも関心が広がることで何かが変わるのではないかと信じ、これからも自分なりに沖縄のことを伝えていきたいと思っている。

「何か変えていける」

 「沖縄のために自分は何ができているのだろう」。能登半島の先端、石川県珠洲市にある実家の宿を手伝う坂本菜の花さん(21)は、沖縄から故郷に戻った3年前から申し訳なさを抱えてきた。

 15歳から3年間、沖縄のフリースクールに通った。その間、米軍属に女性が殺害される事件や大型ヘリが不時着する事故などが相次いだ。なぜ起きるのか、疑問に思って調べるうち、自分が生まれる前から米軍関係の事件事故が繰り返されてきたと知った。変わらぬ背景には、「沖縄ならしょうがない」という「本土」側の意識があるのではと考えるようになり、石川出身の自分自身の問題でもあると思うようになった。

 県民投票のときは石川から沖縄に戻り、投票権がない若者にも考えてもらおうというシール投票の呼びかけを手伝った。同世代が中心となって実現した県民投票に身近でふれ、「私も何か変えていけるんじゃないか」と心が動いた。

 でも、地元に帰ると悩んだ。基地問題について人前で話したり、SNSに投稿したりしたが、ねぎらいの言葉以上の反応がないと、うまく伝えられていない気がして、自分に何ができるのか、わからなくなった。

 そんな中、昨年8月、1通の手紙が届いた。沖縄での坂本さんの日常や米軍機事故の現場を訪れた時の様子を追った記録映画を見たという同い年の大阪の女性から。その中で目にとまった言葉があった。「私は『ごめんなさい』を心にしまいました」。女性は考えることをあきらめず、行動する決意をつづっていた。

 坂本さんは共感した。「ごめんなさい」という気持ちはあっても、それで終わりにしたくはない――。あれから2年を迎える24日午後、県民投票をテーマにしたオンラインイベントがある。坂本さんは数日考えて、出演を決めた。

「自分の中では終わっていない」

 岩手県北上市で暮らす映画監督の都鳥(とどり)伸也さん(38)は県民投票までの約1年、双子の兄・拓也さんと沖縄に通い、ドキュメンタリー映画「私たちが生まれた島 OKINAWA2018」を制作した。いま沖縄で上映中だ。

 幼い頃から好きだったウルトラマンの2人の脚本家が沖縄出身で、作品の背景に沖縄への「差別」についての問題意識があると知り、興味を持ってきた。「私たちが生まれた島」は、沖縄をテーマにした2作目で、生まれた時から米軍基地があった若い世代が基地問題とどう向き合っているのかを聞いて回った。

 印象的だったのは「分断」という言葉だった。辺野古移設の反対運動をしているとフェイスブックに投稿すると、友人が離れていったという話も聞いた。なぜ自分たちが基地問題で悩まないといけないのか、といういらだちを、沖縄の若い世代から感じた。

 映画は、県民投票の結果を伝えて終わるが、伸也さんは「自分の中では、まだ終わっていないんです」と言う。撮影最終日の2月26日、県民投票にかかわった男性に言われた言葉が忘れられない。「本来は沖縄県民が声をあげなくても解決するべき問題だが、声をあげざるを得ない。ボールは本土に投げられている」

 日本全体の問題として、県外の人がどう沖縄の民意を受け止めないといけないのか。沖縄をテーマとする3作目は、かつて米軍基地があったり、基地移転先に浮上したりした沖縄以外の地域を訪ね、自分自身にもカメラを向けようと考えている。

 〈沖縄県民投票〉 若者たちが中心となって署名を集め、2019年2月24日に実施された。米軍普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移設するための海の埋め立ての是非が3択で問われ、「反対」72・15%、「賛成」19・10%、「どちらでもない」8・75%。投票率52・48%だった。沖縄県民投票としては、米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しをテーマとした1996年以来2回目だった。

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐる主な動き

1995年9月 米兵による少女暴行事件

96年4月 日米両政府、普天間返還に合意。その後、移設先に辺野古が浮上

2013年12月 仲井真弘多知事(当時)が辺野古の埋め立てを承認

18年8月 辺野古移設に反対する翁長雄志知事(当時)が死去

9月 「『辺野古』県民投票の会」が必要数の4倍近くの9万2848筆の署名を集め、県民投票実施を直接請求

   知事選で移設阻止を掲げた玉城デニー氏が当選

10月 県民投票条例、県議会が可決

12月 移設予定地への土砂投入始まる

19年2月 県民投票で名護市辺野古の海の埋め立てについて反対7割。投票率52・48%。政府、翌日も工事継続

20年4月 防衛省、埋め立て予定海域で見つかった軟弱地盤対策で県に設計変更申請