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 東日本大震災では住民を助ける重要な役割を担う自治体職員自身も被災者になり、全国の自治体職員が被災地に応援に入り市民の生活や復興を支えた。埼玉県庁からも直後の1年で550人、その後も多いときは年30~40人が派遣され、現在も被災地で働く職員がいる。その経験は、県内の行政サービスにも生かされている。(小林祝子)

 県公園スタジアム課に現在勤務する山下亮さん(35)は震災から約1年後の2012年4月、福島県教育庁に派遣され、県立学校などの施設を早期復旧させるための適切な工事方法を調べる業務についた。当時、建築職として県職員になって3年目。「今後に役立つ経験ができそう」と志願した。

 当時、福島県立の高校、特別支援学校計111校のうち、原発事故による制限区域内にある9校を除くと92校に被害が生じ、工事の必要がある箇所はおよそ1千、被害額は200億円弱に上っていた。大規模な改修や改築工事は手つかずで、山下さんは福島県の職員らと現場を回り、施設の復旧方法について国と折衝した。

 「津波で柱しか残っていない校舎でも、国の基準に従えば改築ではなく改修工事しか認められないこともある。どうすれば現場の希望を通し、できるだけ早い復旧ができるか、深夜まで勉強する日々でした」と振り返る。

 そんななか、偶然耳にした高校生の会話にショックを受けた。避難しているため高校を退学して通信制高校に転校した――。生徒らと直接話す機会はなかったが、突然日常を奪われた福島の現実を突きつけられ、自分の仕事の意義を知ったという。

 3カ月の予定だった派遣期間は、派遣先の希望もあり2年間に。帰任前、当初から関わり、改築工事を終えて生徒を迎えるばかりになった学校を視察し、少しほっとしたことを覚えている。「どこまで役に立てたかはわからない。けれど、予算のことや関係機関との調整方法など、多くを学ばせてもらった」

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 宮寺修也さん(36)は12年10月から半年間、岩手県庁の地域福祉課で働いた。震災の5カ月後にも福島県郡山市へ約1週間派遣されたが、簡単な事務作業を手伝うのがせいぜい。「現場に混乱もあり、もう少し何かできたのではと心残りだった」と、岩手に行ったきっかけを振り返る。

 岩手では、高齢者や障害者など特別の配慮を必要とする人々を受け入れる「福祉避難所」の実態と課題についての、地元の大学と連携しての調査に加わった。地域のケア施設など福祉避難所に指定された場所を回り、本来は福祉避難所に入るべき人が自分の車の中で我慢して過ごしていたことなど、有事の際の計画が実際の現場でうまく機能していなかった現実を知った。

 一方で、震災直後から「市民のために」と一丸となった話を現地職員から聞き、他県から派遣された職員やボランティアなど様々な立場の人と知り合えたことは、仕事をする上で刺激になったという。

 いま、県水環境課で河川周辺の美化活動を行う市民団体との連携などに取り組む。「市民と接点があるのは当時と同じ。どう支えるか、当時の経験を元に考えている」と言う。

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