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 戊辰戦争で庄内藩の二番大隊を率いて官軍を圧倒し、「鬼玄蕃(げんば)」と勇名をはせた酒井玄蕃了恒(のりつね、1842~76)の企画展が、山形県鶴岡市立図書館内の市郷土資料館で開かれている。一昨年、テレビの歴史番組で取り上げられたことがきっかけとなり、市内の個人宅から見つかった直筆書簡など約80点が展示されている。

 了恒は、先祖が庄内藩主・酒井家につながる家系の家老・酒井了明の長男として生まれた。藩校・致道館に入ってからは兵士を訓練する調練で頭角を現したほか、詩作や書、琴・笛にも優れ、文武両道で才能を発揮。幕命により庄内藩が江戸市中取り締まりを担当した際は組頭に抜擢(ばってき)された。

 26歳で迎えた戊辰戦争では二番大隊の隊長として、新庄から秋田付近まで内陸部を北進。連戦連勝で庄内藩の力を見せつけた。明治維新後は新政府に仕え、西郷隆盛らと親交を深め、黒田清隆からの依頼で中国大陸に渡って偵察活動に従事するなどしたが、1876(明治9)年に結核で没した。

 今回の企画は「出仕以前」「江戸市中取締」「戊辰戦争」「明治の玄蕃」と時期ごとに分けた展示に加え、了恒の漢詩や書、同時代人からの評価など多面的な紹介を試みている。

 17通の直筆書簡からは、了恒が激動の時代をどう見ていたかが垣間見えるという。幕末・65年の書簡は、鶴岡に戻ったことを「頓と別世界にて仙人にても相成候様気持(白刃の中にあった江戸から戻り、仙人のような気持ちになる)」と、緊張感の違いを記す。

 晩年の75年の書簡では、隣国・朝鮮に開国を迫る使節団の派遣を試みる明治政府の姿勢を「価を取る積も地を取る積もこれ無く(中略)其国を開化致させ候丈けの目的(金銭を取るのでもなく領土を広げるのでもなく、ただ開国させることだけが目的)」と記し、かつて日本がペリー艦隊から受けた「砲艦武力外交」に重ねている。

 同館は「(了恒は)戊辰戦争での奮戦で猛将のイメージが強いが、時代を冷静に分析した戦略家で、優れた詩人・能書家でもあるスケールの大きな人物だった。夭逝(ようせい)したが、生きていれば歴史が違ったかもしれない。直筆資料などを通じ、魅力を知ってもらえれば」と説明している。

 企画展は3月31日まで。入場無料。(鵜沼照都)

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