津波の被害が大きかった東日本大震災。実は、内陸部で地震による宅地造成地の地滑りも起こり、深刻な被害を出しました。こうした「宅地崩壊」は大地震のたびに各地で繰り返し発生しており、専門家にとっては「想定内」のものでした。その背景を戦後の社会経済活動や政策から解き明かし、地下に潜むリスクに警鐘を鳴らし続けている京都大防災研究所の釜井俊孝教授に聞きました。
――東日本大震災では津波被災地のほかに、内陸の造成地も大きな被害を受けました。
仙台市の丘陵地では4千以上の宅地で地滑りが発生し、地震後も地滑りが続いた仙台市太白区緑ケ丘4丁目地区は集団移転を受け入れました。緑ケ丘4丁目は、1978年の宮城県沖地震でもほぼ同じ範囲がすべり、このときの調査で、谷を埋めた盛り土の地滑りだとわかりました。地震によって盛り土が液状化して地盤が緩み、地滑りが起こったのです。にもかかわらず、行政や一部の専門家は「仙台市以外では大丈夫」と考えました。特殊な地質・岩質であり、しかも宅地造成の規制ができる前の古い造成地で起こったことだとみて、過小評価したのです。
――しかし、これは仙台市だけの問題ではなかったのですね。
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東日本大震災から3月11日で10年となります。被災地の復興や支援、福島第1原発事故への対応など、様々な分野で思いを寄せる人たちにインタビューしました。 震災の経験は私たちに何を残したのでしょうか。
全国的な問題だとわかったのは95年の阪神大震災。仙台とは地質がまったく違う兵庫県西宮市の宅地で、仙台を上回る規模で地滑りが起こり、造成地の問題が改めてクローズアップされました。その後、日本で地震が多発するようになり、そのたびに各地で被害が報告されました。2004年の中越地震、16年の熊本地震、18年の北海道胆振東部地震でも、それぞれの地域で宅地の盛り土の地滑り被害がありました。
――人生の目標のようにして建てたマイホームも、土台が壊れてしまえば、たとえ耐震補強したばかりでも住めなくなります。ふだんは何の問題もなく、災害が起こらなければ、宅地に欠陥があることはわかりません。造成地で地滑りが相次ぐのには理由があるのでしょうか。
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