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 【愛媛】松山市出身の将棋棋士、黒田尭之(たかゆき)さん(24)が、第79期順位戦(朝日新聞社、毎日新聞社主催)でC級1組への昇級と五段昇段を決めた。四国唯一の現役で、愛媛では43年ぶりに誕生した棋士。地元の期待を受け、頂点である名人を目指し、最初の壁をプロ入り2年で突破した。

 「ほっとしています」

 50人超の棋士が1年をかけて、わずか三つの昇級枠を争うC級2組。黒田さんは2月4日、全10回戦の最後の1局を残し、昇級を決めた。ただ、競争相手に黒星がついたことで決まった昇級だけに、「勝って決められたらよかったんですが」と苦笑いした。

 他棋戦を含め、今年度の成績はここまで21勝9敗。プロ1年目の昨年度の14勝16敗から大きく飛躍した。

 対局のたび、今も松山から飛行機で大阪や東京の将棋会館に通う。地方に住み続けるプロ棋士はごく少数。珍しい存在だ。

 棋士どうしが集まってやる研究会に参加できず、顔をつきあわせて対局する機会が少ない分、ネット将棋を活用する。多い時は1日20局ほど。「直接対局は手を動かすので吸収しやすく、じっくり感想戦ができるメリットがある。ネットだと感想戦はやらないことも多いので、自分の中で振り返りながら、忘れなくなるまで何度も何度も指します」

 小さい頃、父親が家にあった将棋盤でルールを教えてくれた。幼稚園年長の時、松山市の指導者・児島有一郎さんの教室に入会し、頭角を現した。2008年、6年生の時に小学生名人戦で全国準優勝。その少し前に偶然、指導対局で松山に来ていた畠山鎮(まもる)八段に弟子入りし、同年、棋士養成機関の「奨励会」に入った。

 棋士以外の夢を抱いたことはなく、「プロになれなかったら」と考えたこともないという。ただ、全国から精鋭たちが集まった奨励会の最上位「三段リーグ」を抜けるのに、6年かかった。初めて長い停滞を経験したが、最後の1年は1日中、将棋に触れる生活を送った。

 22歳の春。周囲の同級生たちが就職するのと同時に、三段リーグを突破。四段プロ入りを果たした。

 今は月3、4回の対局以外は松山で活動する。月2回程度は児島さんが運営する「松山将棋センター」で子どもたちを指導。児島さんの教え子には、黒田さんの後輩で高校時代に県内初の女流プロになった山根ことみ女流二段(22)もいる。近年の将棋ブームもあり、黒田さんが通い始めたころは20人ほどだった道場の子どもの数は、数倍に膨れあがった。

 対局で勝ち続け、対局数が増えれば、松山を離れなければならない日がくるかもしれない。それまでは地元で、活躍する姿を見せたいと思っている。

 「児島先生や、小さい頃から将棋を教えてくれた常連のお客さんたち。お世話になった人たち、応援してくれている人たちに恩返しができれば」。新年度の目標は「C級1組を1期で抜けたい」。淡々と次の目標を見据える。

 ――どんな棋風ですか

 攻め将棋で、いろんな戦型を指します。プロ入りした当初は「居飛車(序盤、飛車を最初の位置に据えたまま戦う指し方)」に絞っていましたが、いろいろやる方が伸び伸び指せて勝率も良くなりました。棋士には、考えに考えた手を指すタイプと、直感で浮かんだ手を信じて指すタイプがいますが、自分は後者です。

 ――C級2組を2期で抜けるのは、羽生善治九段と同じですね

 そうですね。本当は1期で抜けるつもりだったのですが、及第点だと思います。1年目は順位戦の持ち時間の長さ(1人6時間)にも戸惑いました。

 ――兄弟子の斎藤慎太郎八段に名人戦の挑戦権がかかっています

 松山から通っていることもあり、ほとんどつながりはないのですが、大きなあこがれを抱いている存在です。

 ――藤井聡太二冠をはじめ、若手棋士が将棋界を盛り上げています

 藤井二冠とは三段リーグで半年かぶっていました。藤井さん1人にそんなに勝たせても情けないのですが、盛り上がりはありがたいですし、その波に乗って行けたらと思います。

 ――今後の目標は

 来年度は順位戦のクラスを上げること。あと、今年度は順位戦以外の成績が平凡だったので、そこが課題です。長期的にはタイトル戦も目指したいと思っています。(足立菜摘)

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