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 太平洋戦争の激戦地・タラワ環礁(キリバス)で米国が収容した日本兵の遺骨が、長崎市出身の海軍二等機関兵曹・野村正敏さん(当時23)のものと分かり、26日、末弟で被爆者の貞之さん(92)の元に届けられた。遺族は正確な死没地も分からずにいたが、昨年、DNA型鑑定で判明した。

 「お帰りなさい、正敏兄ちゃん」。自宅の祭壇の前で、遺骨を納めた箱を受け取ると、貞之さんはスーツの胸元に包み込んだ。「つらかったろう、さみしかったろう」。温かい兄の肌が感じられるようだった。

 正敏さんは1920年生まれ。5人きょうだいの長男で、結核で早世した父に代わり家計を支えた。

 41年、海軍に召集。佐世保の鎮守府に見送りに行った貞之さんは、門番の制止を振り切って兄を追いかけた。「兄ちゃん、死んじゃダメ」。振り返って軽く手を上げたのが最後に見た姿だ。時折手紙が届いたが、任地は分からなかった。

 正敏さんの属する佐世保鎮守府第7特別陸戦隊は、旧英領のタラワに赴いた。43年11月下旬に上陸した米軍と激戦となり、厚生労働省によると日本側は朝鮮半島出身者約1千人を含む約4200人が死亡。米国防総省によると、米側も1千人超の犠牲が出た。

 長崎の家族の元には「南太平洋方面において戦死」と書かれた戦死公報と一葉の写真だけが届いた。一家が疎開中、長崎には原爆が落とされ、爆心地に近い自宅には近づくこともできなかった。

 敗戦後、空調工事会社を興し、4人の孫に恵まれた貞之さんの元に2019年、厚労省からDNA型鑑定の案内が届いた。タラワで見つかり、米国が検体を提供した遺骨162柱の身元確認のためだ。貞之さんはすぐ応じた。昨年9月、13年に見つかった骨と「親族関係がある」との鑑定結果が出た。

兄の足跡、便箋に。兄の無念と自身の体験を話す

 遺骨を迎えるにあたり、兄の足…

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