瀬古利彦が振り返る 1988年のびわ湖毎日マラソン

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聞き手・堀川貴弘
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 数々の名勝負を生んだ、びわ湖毎日マラソンが28日の第76回大会で幕を閉じる。日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー、瀬古利彦さん(64)にとっても、競技生活で1回だけ出場した1988年3月の大会は忘れられないレースとなった。レースの思い出を聞いた。

 ――びわ湖毎日マラソンでまず思い浮かぶことはなんですか。

 体も心もつらかった。福岡国際のことがあったからね。

 ――ソウル・オリンピック(五輪)の代表選考会として開かれた1987年の福岡国際マラソンをけがで欠場しました。

 選手たちの間では、福岡に全員集まって一発勝負という感じだった。中山(竹通)君が「自分だったら、はってでも(福岡に)出場する」といった趣旨の発言をしていたのも週刊誌を見て知っていた。みんな中山君みたいに思っているんだろうな、と心に刺さりましたね。

 福岡のレースは、報道対応のために赤坂プリンスホテルで見ていましたよ。ぶっちぎりで優勝した中山君の走りはショックでした。あれだけの走りをされたら僕が出ていても絶対にかなわない。瀬古が出ないから、「よっしゃ、自分が日本一、世界一だ」というのを見せてやろう、という走りだったね。

 ――ソウル五輪代表は福岡で中山、新宅雅也が決定し、瀬古さんにとって、びわ湖が「追試」になりました。

 中途半端な走りはできないと思った。2時間10分を切って、優勝というのを目標にして練習していた。本当に調子が良くて、31歳になってもまだこれだけ走れるという自信があったし、2時間10分を切るなんて全く問題ないと思っていた。

 ただ、気持ちがね。針のむし…

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