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 「#わきまえない女」のキーワードが世の中を揺らしています。発端は「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」という東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗前会長(83)の発言です。「わきまえる」か否かは、個人の生き方と社会の姿に直結します。あなたはいかがですか? 体験と意見を聞きました。(聞き手・花房吾早子、大野さえ子、根本晃、伊藤恵里奈)

芽吹いた「おかしさ」の種 日本ラグビー協会理事 谷口真由美さん

 日本ラグビー協会は、多様性の確保を掲げ、改革を重ねてきました。

 2019年から、性的少数者が安心できる国際スポーツ大会を目指す情報拠点「プライドハウス東京」を後援しています。20年には女性初の広報部長が生まれました。女子選手や女性指導者の育成にも力を入れています。改革はまだまだですが、今回を機にさらに変わり、新たなラグビーファンを開拓したいです。

 森さんに「会議時間が倍になった」と協会が名指しされ、驚きました。渦中の人間として、「#わきまえない女」の発信には力をもらっています。共に怒ってくれる人たちの存在は心強いですね。

 女性の中には、バリバリのビジネスパーソンもいれば、専業主婦もいます。同じ女性でも、立場の違いによって意見も異なります。でも、みな会議の経験はあるのでは? 職場だけに限らない。町内会、マンションの理事会、PTAも。子どもの頃の児童会や委員会もあったでしょう。

 どんな女性にも、「森さんの発言はおかしい」っていう肌感覚があると思うんです。これまでの人生で感じてきた「おかしさ」の種のようなものが、今回の件で芽吹き、一人一人が自分事として言葉にしている。五輪やスポーツ界というテーマを超え、あらゆる人が参加する社会現象に発展しています。

 「全日本おばちゃん党」を思い出しました。「おばちゃん」目線で「オッサン」社会にもの申していくフェイスブック上のグループ。私が立ち上げ、19年末に解散しました。

 「党員」には、男社会で「わきまえながら」闘う官僚や議員の女性もいました。わきまえるよう強要される空気があるからです。男社会の中で声を上げられない女性たちを、外からの声で勇気づけたい。当時そう思って活動していました。

 私は今、中で男性と議論して変えていかないといけない。自分に降りかかってきた火の粉は、人を温めるための火に育てていきたいです。(聞き手・花房吾早子)

 たにぐち・まゆみ 1975年、大阪市生まれ。大阪大大学院国際公共政策研究科博士課程修了。大阪国際大などで憲法や国際人権法を教えながら、2012年から全日本おばちゃん党代表代行を務めた。19年度から日本ラグビー協会理事。20年から新リーグ法人準備室長。

男性の「被害者意識」根底に 公認心理師・臨床心理士 信田さよ子さん

 「わきまえる」「わきまえない」なんて、死語だと思っていました。聞いたときには暗澹(あんたん)たる気持ちになりました。今回は「女は話が長いけれど、会議に入れてやっているんだから」、と女性蔑視ともいえる言葉が決定打となって、人々の怒りが爆発しました。

 実は同性の集団でも若い参加者が発言すると、年長のボスが「あの人は、わきまえていない」という目で見ることはあります。「わきまえろ」とは上位から下位にしか言えない言葉で、暗黙のうちに存在する「力関係を読みなさい」という要求です。一番はっきりした上下関係が女性差別ですが、あらゆる差別撤廃の機運が先進国の常識になる中で、70代以上の与党男性政治家たちがあっけらかんと、男性中心主義的な価値観に基づき発言することは、アジア諸国でもまれな現状ではないでしょうか。

 森さんだけではありません。東京五輪聖火リレーの中止検討を表明した島根県の丸山達也知事に「注意する」という竹下亘(自民党元総務会長)さん、NHKのドキュメンタリーで夫婦別姓を求める夫婦への亀井静香(元金融相)さんの「付き合ってられないよ」との発言にも驚きました。

 そうした態度はどこから来るのでしょうか。私はDV加害者へのプログラムを行っていますが、参加男性の多くが「こんなに自分は我慢しているのに」という被害者意識を持っています。夫とのことでカウンセリングに来る女性は、支配―被支配関係に気づいた「わきまえない女」といえます。力の上位の者に対して我慢をしている=わきまえているのだから、下位の者は自分に対してわきまえろ、と思うのです。日本は男性もわきまえる社会。学校教育や集団の中での「わきまえ」を教えられる。だからこそ、男性は女性たちがわきまえないことに腹が立つ。それは虐待する親の心理と重なります。「私は親から大変な思いをさせられて育ってきたのに、なぜ、子どものあなたは、こんなにのびのびしているの」と。

 わきまえることは、日本の社会、企業を守るためにマイナスだけではなかったかもしれません。私も病院で働いていたときは、医師の機嫌をとったこともあります。でも、言いたいことを言ってしまって大きな組織からは外れ、思い切り自分で発言できる場所を探してやってきました。

 森さんの発言で、「暗黙だったもの」が可視化されたのはよかった。「わきまえる」は自動詞なので納得ずくに見えますが、実は力の行使によって強制されたものだとわかったのです。ツイッター上ですぐに「#わきまえない女」というハッシュタグが登場して拡散したことが痛快で希望です。海外にも届きました。女性の力を行使している自覚がなくても、「ノー」と言われて初めて気づく男性もいます。異議申し立ての機会が増えたのはSNSの力でしょう。(聞き手・大野さえ子)

性別よりも個性が大事 看護師 植田守さん

 奈良県内の総合病院で看護師をしています。担当は救急外来で、職場の看護師29人のうち男性は5人。就職前は女性が多い職場に入る不安もありましたが、和気あいあいとした雰囲気で働いています。

 看護師10年目。男性として、また看護師として「わきまえた」経験はありません。治療方針を看護師から医師に提案することもあるし、病気についての見立てが医師と看護師で違う場合でも、看護師だからと意見を控えることはありません。看護師がわきまえる環境だと、患者さんの状況を適切に報告することができなくなる。結果として、患者さんやご家族に悪影響が及ぶと思います。

 男性看護師としては、女性の患者の肌を露出させたり、下のお世話をしたりする時に気を使うことはあります。でも、逆に、女性の看護師の前で恥ずかしがる男性の患者もいます。性別にとらわれるのではなく、患者さん一人一人の痛みや不安に気づき、その人のニーズに合った医療を提供することが大事。そこに男女は関係ありません。

 だから、森(喜朗)さんの発言を聞くと、そこに「女性だから、こうなんだ」と固定概念があるように感じ、一人一人を見ていないのかなと思います。医療の現場でも、男性が向いている、女性が向いているというのはその人次第。個性を理解し合えば、職場でも男女を超えた一つの仲間になれると思います。

 中には、女性の看護師の方がケアが上手、男性は優しくないといった印象を持つ方もいると思います。だから時々、患者さんに「男性看護師って意外と丁寧で優しいんだね」と言われると、心の中でガッツポーズします。性別の枠を超え、一人の看護師として、知識や技術を最大限発揮していきたいと思います。(聞き手・根本晃)

同質な社会 成長のリスク 神戸女学院大名誉教授 内田樹さん

 僕は子どものころ、大人から「身の程をわきまえろ」とよく叱られました。でも、日本が高度経済成長期に入った1960年代中ごろから、その言葉をぱたりと耳にしなくなった。日本国民全員が身の丈に合わない欲望を抱き、分際を越えて活動していた時代には、むしろ「わきまえないこと」の方が美徳だったからです。

 「わきまえる」という言葉が再び力を持ったのは、バブル経済が崩壊して日本が衰退に向かい始めてからです。リソースが限られてくると、その分配比率が優先的な話題になる。一人一人が自分の既得権益を抱え込み、他人の分配について多い少ないとうるさく言い立てるようになって、また「身の程を知れ」がよみがえってきた。僕も最近になって「専門外について語るな」という批判の言葉を半世紀ぶりに聞かされました。

 森(喜朗)氏の発言は二つの側面があると思います。一つは昔ながらの男尊女卑セクシズムですが、もう一つは「貧しい国」固有の、資源の分配比率に対する意識過剰です。「女に分配するものはない」というのは差別意識の表れであると同時に、みずからの貧しさの告白でもあります。

 僕は離婚したあと父子家庭で娘を6歳から育てましたから「母親」的な心性はよく理解できます。勤め先が女子大で、若い女性の成長を支援するのが仕事でしたから、因習的なセクシズムからは比較的自由だと思います。でも、僕の場合は偶然そうなっただけで、一般的には、いまの日本の男性がホモソーシャルな人間関係から抜け出すことは制度的にかなり困難だと思います。

 ホモソーシャルな組織に属して、同じ価値観を共有し、同じ言葉づかいをする男たちだけとしかコミュニケーション機会がないというのは、セクシズムの温床となるというだけでなく、人間的成長の点でもリスクが高いと思います。

 また、自分の非や失敗を認められない人が増えているように思います。問題発言後の会見での森氏の態度もそう。過ちを認めて謝罪するのは、自分自身を客観的に俯瞰(ふかん)できる視点に立てたということであって、少しも恥ずかしいことではない。ですが、この10年ほど、政治だけでなく、学術や論壇でも、「非を認めたら負けだ」とばかりに噓(うそ)をついたり、詭弁(きべん)を弄(ろう)したりすることが抑制できなくなっているように感じます。

 ある程度の地位に就くと、男性はもう「叱られる」という機会がなくなります。だから、僕は男性にはお稽古ごとをお薦めしています。お稽古ごとでは先生から叱られ続けです。そして、先生が指摘しているのは、たしかに自分の本質的な欠点なんです。(聞き手・伊藤恵里奈)

 アンケートに届いた声をさらに紹介します。

 

●笑って流し、帰りに泣いた

 会食の場で、取引先の部長と同じ会社の中年男性から彼氏がいないことをからかわれた。「もっと可愛くアピールしたら?」「ニコニコ話聞いとけば彼氏できるんだから頑張れよ」などと言われ笑われた。腹が立ったし恥ずかしかったが、私以外は全員年上の男性。言い返せず笑って流し、帰りの電車で泣いた。自分の生活を切り取られ酒のさかなにされたことが惨めで仕方なかった。(東京都・20代女性)

●無用なトラブル、なくて済む

 それが社会人・日本国民として当たり前だと思っていますし、わきまえた行動を心がけていれば無用なトラブルを発生させなくて済みます。我慢は美徳ではありませんが、互いにわきまえ合うことは社会を円満にする秘訣(ひけつ)ではないでしょうか。(東京都・30代男性)

●「わきまえる」の内面化を恥じる

 地方議会の議員です。議会で理不尽だと感じることに対しては「わきまえずに」これまで発言してきたつもりだが、かえって抑え込まれて、しかも事態は変わらない、という経験を経て、最近は、言っても変わらないし、また騒動になりそうで厄介と考えてしまい、「わきまえて」グッとのみ込むことがある。その自分の行為は、思い出すたびに悔しく恥ずかしい記憶、というだけでなく、議員は発言する義務があるという意味で、市民への裏切りだと確信している。女性議員だから「わきまえさせられた」とは思わないが、多数派ではない少数派の立場にいることで「わきまえる」ことを内面化しているのかもしれない。非常に恥ずかしいことです。(静岡県・60代女性)

●父の逆ギレに無力感

 「女はでしゃばるな」「(口ごたえしないで)『はい』と言ってりゃいいんだ」と、父親が母親や世の女性に対して言うのを聞くことがある。そのつど腹が立って反論したくなるけど、父の逆ギレを恐れて我慢してしまう。たまに少し反発できることはあるけど、父は「馬の耳に念仏」状態で、無力感。(群馬県・40代その他)

●組織がうまく回るためには必要

 わきまえることで、うまく組織が回る。ときには意見も必要だが、そればかりでは決定力を欠いた組織になるだろう。(京都府・10代男性)

●パワハラやセクハラと同じ

 日本では「女性だから」という理由で「控える、言動を慎む」というニュアンスがある。それを暗示的に男性が女性に対して、または上司が部下に対して強要しているのであればパワハラ、セクハラと同じである。昭和生まれの世代はまだ女性の理想像みたいな古臭い感覚が残っているが、SNSで育っている若い世代には暗示的な空気が読めないかもしれないが、それはそれでメリットがあると思う。(海外・50代女性)

     ◇

 就活中だった5年前。ある企業の集団討論に参加した際、その中の1人に「女性だから字がきれい」という理由で書記役を頼んだことがありました。「わきまえ」させたつもりはありませんでしたが、その場に女性は少なく、断りづらかったかもしれません。

 アンケートの体験談を読み、当時の振る舞いを改めて恥じました。年上の男性や上司など立場の強い人が、いかに無自覚の偏見に基づき、立場の弱い人を「わきまえ」させていることか。森前会長も、きっと私のように罪悪感なく発言していたのではないでしょうか。

 「相手の立場ならどう思うか」。互いを対等な存在として尊重し合う社会を築くため、シンプルな問いを自分に重ねていきたいと思いました。(根本晃)

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