「海の匂いが恋しい」 元原発作業員の初がつお

柳沼広幸
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 福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が2月13日深夜に発生した。群馬でも震度4の揺れに見舞われた。東北、関東で1人死亡、170人以上がけがをした。

 「東日本大震災を思い出した。体が覚えているのか脳が思い出したのか、1週間たっても体の揺れが続いているような感じがする」。群馬県伊勢崎市境保泉の元原発作業員関根安広さん(73)は、10年前の震災の記憶が呼び覚まされた。「余震なんだってね。10年になるのに、まだこんなに大きな地震が来るなんて……」

 2011年3月11日。東京電力福島第一原発福島県大熊町、双葉町)の4号機の建屋内にいた。東芝の下請け会社で働いていた。定期点検で止まっていた4号機での作業を終え、機材を6号機に移していた。そこを強い揺れが襲った。

 「立っていられなかった。目の前が真っ白いほこりに包まれた。全員が高台に避難した」。津波が来て海の近くにとめた会社の車は流された。夕方、全員の無事を確認し、自分の車で約4キロ離れた大熊町の自宅に帰った。停電で暗い中、妻と子ども2人と石油ストーブで暖をとった。

 翌12日、避難指示が出され、西に約50キロ離れた同県三春町の高校の体育館へ。伊勢崎市に住む弟が迎えに来てくれた。新潟経由で18日朝に弟宅へ着き、しばらくして市営住宅に移った。

 ふるさとは、放射性物質で汚染された。関根さんの自宅は帰還困難区域になった。「30年は帰れない。俺の代では帰れない。息子の代でもどうかな」。覚悟を決め、13年12月、伊勢崎市内に新居を建てた。

 大熊町では、稲作などの農業の傍ら28歳から原発作業員として働いた。父親の世代は冬は出稼ぎしていた。「原発がなければ俺も出稼ぎに行っただろう。原発が生活を支えてくれた」。住民にとって原発は必要な働き口だった。

 その原発が事故を起こした。「安全第一でやってきたのに、爆発するとは夢にも思わなかった。原発に反対してきた人たちは『それみたことか』と思っていることだろう。だけど原発で働いた作業員としては、東京電力を恨む気にはならない。生活は楽ではなくても原発があったから家族で一緒に暮らすことができた」

 同県南相馬市出身の妻は伊勢崎に避難してから病気が分かり、15年8月に61歳で亡くなった。墓は伊勢崎に建てた。「もうここが俺のふるさとだ。福島は第二のふるさと。群馬は災害もないし、冬も暖かい」

 野菜作りをしてきたが、春から夏になると「海の匂いが恋しい」という。「小さい時から海で泳いだり魚を捕ったりしてきた。磯の香り、海の匂いがふるさとなんだ」

 伊勢崎に移った後も2カ月に1回の頻度で福島を訪ね、両親の墓参りをし、海の匂いを吸い込んできた。いわき市でなじみの魚屋に寄って地魚を買って帰る。特に春からの「初がつお」は1本丸ごと買い、自分で調理するのが楽しみだ。

 昨年夏、犬の散歩に出ようとして転倒し、体調を崩した。以来、福島には行っていない。住めなくなった大熊町の自宅はどうなっただろう。早く体調を回復して見に行きたい。(柳沼広幸)

     ◇

 世界最悪クラスの事故を起こした東京電力福島第一原発では廃炉作業が行われている。国と東電は2011年12月に「30~40年後に廃炉完了」との目標を掲げたが大幅に遅れている。1~3号機で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出しが難題だ。放射線量が強すぎてロボットも容易に近づけない。今年2月13日の福島県沖地震では使用済み燃料プールの水があふれた。10年前の原発事故直後に出された「原子力緊急事態宣言」はいまだ解除できていない。