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 春彼岸津波寄せ来し浜に立つ我が曽祖父も波に消えたり

 10年前、宮城県気仙沼市からこの短歌を朝日新聞に投稿した直後、東日本大震災の津波で命を落とした小学校の先生がいた。運命を予期するかのような歌を残したのは、どんな人だったのか。気仙沼を拠点に取材する私(49)は、関係者をたどった。

拡大する写真・図版畠山登美子さん=2021年1月22日、宮城県気仙沼市、小玉重隆撮影

 先生は畠山登美子さん(当時50)。冒頭の歌は2011年4月10日付の「朝日歌壇」の入選作として新聞に載った。市内の階上(はしかみ)地区の彼女の自宅跡に、この歌を刻んだ歌碑が立つ。

 ここは海から700メートル離れた丘の上。一帯にあった住宅地は津波で壊滅した。海の方に目を向けても、防潮堤まで視界をさえぎるものがない。

 昨秋、震災の語り部が地元の中高生に語りかけた。

 「『とみこ先生』の一家は明治の津波で家を流されここへ移った。だけど震災でここもやられた。津波は、どこなら安全ということはない。より高く、より遠くへ逃げるしかない」

 聴き入る中高生は語り部を志願している。震災の記憶が残る世代だ。真剣な表情でメモを取り、録音している。

決して忘れていなかったけれど

 10年前、とみこ先生は市立松岩小の教諭で、病気休職中だった。震災後の4月に校長になった佐藤均さん(67)によると、朝日歌壇の入選を見つけた同僚が紙面を職員室に張り出し、ため息が広がった。翌月、とみこ先生の自宅のそばで大破した車と免許証が見つかった。

 12年4月10日。震災による死者の名を載せる朝日新聞の欄に、先生の名が載った。最後の歌の掲載からちょうど1年だった。行方不明だった両親も前後して見つかった。

 市内の鼎(かなえ)が浦高校(…

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