第3回湖月わたる 峰さんは「世界に通用する、誇らしかった」

宝塚歌劇団

河合真美江
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 毅然(きぜん)としたりりしさと甘さを兼ね備え、長身の貴公子として輝いた「みねちゃん」。宝塚歌劇団の元星組トップスター峰さを理が1月、68歳で亡くなりました。衝撃と悲しみの急逝から1カ月。58期の同期生の元花組トップスター高汐(たかしお)巴(ともえ)、元男役スター寿(ことぶき)ひずる、そして、教えを受けた後輩の元星組トップスター湖月(こづき)わたる、元月組トップスター霧矢(きりや)大夢(ひろむ)、さらにトップのバトンをみねちゃんに託した元星組の瀬戸内美八の計5人に、その胸の内を聞きました。今回は湖月さんへのインタビューです。

 星組の元トップスター湖月(こづき)わたるは、宝塚音楽学校に入る前から峰さを理にあこがれていたという。入団したのは1989年。峰の退団した2年後で、現役時代は重なっていない。そんなスターと一緒の舞台に立つチャンスがめぐってきた……。そのとき、先輩から教えられたことは。

 峰さんの舞台が大好きで、ファン時代からずっと見ていました。退団されたとき、私は予科生(宝塚音楽学校1年)。さよならショーの歌は全部口ずさめたぐらいです。

 入団して「望郷は海を越えて」(宙(そら)組)に出演したとき、峰さんが振り付けをして下さって。あまりに緊張して話せませんでした。懐かしい思い出です。

 トップ時代には、宝塚OG公演で同じ舞台に立つことができました。「狸(たぬき)御殿」のショーです。星組トップでいらした鳳(おおとり)蘭(らん)さん、瀬戸内美八(みや)さん、峰さん、麻路(あさじ)さきさんに私も入れていただき、5人で「セ・マニフィーク」を。あこがれの先輩方とご一緒し、星組のつながりをひしひしと感じた瞬間です。

「そのままのわたるちゃんで」あたたかさ包まれた

 その振り付けが峰さんでした。しかも私はお隣に並ばせていただいて。信じられないぐらい、本当にうれしかった。

 退団後の2016年、ミュージカル「シカゴ」の宝塚OGバージョンをニューヨークで上演したときは「こんなことってあるんだ!」というほどの喜びでした。敏腕弁護士ビリーを峰さんが演じられ、私がヴェルマ(殺人容疑で投獄された歌姫)。男役の峰さんに、私が女役で一緒にお芝居をする。うれしくて、もうドキドキでした。

 ビリーに向かって走っていくお芝居の場面がありました。私の顔があまりに必死で、こわばっていたんだと思います。まっすぐに目を見てこう言われました。「がんばって女性を演じなくていいの。そのままのわたるちゃんでいい」。峰さんの大きなあたたかさに包まれた瞬間でした。

 上演したリンカーン・センターは私たちにとって初めての場所。みんな落ち着かなかった。峰さんはそんな気持ちを察したのか、初日の前に舞台の袖で私たちにこう言われたんです。「落ち着いて。こんなに稽古してきたんだから大丈夫」と力強く。その一言でカンパニーの緊張がとけていった。OGの絆が深まった瞬間でした。

 いつも、ここぞというタイミングですぱんと響くことを言われる。説得力と統率力があって、団体をぎゅっとまとめて下さるんです。

 峰さんのビリーは、現地の舞台関係者が「その潔さ、賢さ、新しさ。ブロードウェー俳優が参考にすべきだ」と称賛したほどでした。私たちの先輩は、世界に通用する俳優なんだと誇らしかった。

 とにかく粋なんです。たとえば1曲、片手をポケットに入れたまま歌いきる。私はつい、いろいろとやりたくなってしまうのですけど。人として、舞台人として、太く大きな芯を持っていらした。日ごろどれだけの鍛錬を重ねてこられたか。

 ずっとあこがれでした。宝塚に入りたいという夢を見せて下さり、宝塚に入り卒業してからも、舞台をご一緒するという夢を見せて下さった。星組の後輩として、その教えを胸にしっかり刻んでいきます。(河合真美江)

湖月わたるさん

 こづき・わたる 1989年入団。星組に配属され、ダイナミックなダンスと演技で注目を集める。その後、宙組、専科を経て2003年に星組トップスターになった。「王家に捧ぐ歌」で文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞し、05年に「ベルサイユのばら」韓国公演を成功に導いた。06年に退団。

 その後もミュージカルやダンス公演、コンサートとさまざまな舞台で活躍している。今年4~5月、梅田芸術劇場と東急シアターオーブで開かれるミュージカル「エリザベート」の「TAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート」への出演が決まっている。

峰さを理さん

 みね・さをり 福井県敦賀市出身。1972年に入団し、星組に配属。入団2年目に「この恋は雲の涯(はて)まで」の新人公演で主役の源義経に抜擢(ばってき)され、早くからホープとして注目を集めた。83~87年に星組トップスター。「哀(かな)しみのコルドバ」「紫子(ゆかりこ)」の初演を成功に導いた。宝塚歌劇100周年の2014年に「宝塚歌劇の殿堂」入りを果たす。日本舞踊の名手でもあり、近年も歌劇団で日本物を中心に振り付けの指導にあたっていた。1月30日、甲状腺がんで死去。