「天理へ行け」背中押した祖父 力をくれた形見の数珠

米田千佐子、川辺真改
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 準決勝に出た天理(奈良)の捕手、政所蒼太(まどころそうた)選手(3年)は今大会、ズボンの後ろの右ポケットに祖父の数珠を入れてきた。打席に入る時、守備に向かう時、握りしめる。育て、野球を教え、応援してくれた亡き祖父が身につけていたものだ。

 あと二つ勝てば頂点の舞台。政所選手は投手に声をかけ、肩を回し、キャッチャーマスクをぐっとかぶった。

 京都府京丹後市の出身。祖父の俊文さんは実家の向かいに住んでいた。野球好きで、幼い頃からキャッチボールした。小中学生の時は試合を見に来てくれた。両親の帰宅が遅かった中学生の頃、俊文さん、祖母の昭美さん(69)と、祖父母宅で週1、2回、晩ご飯を食べさせてもらった。

 中学3年の時、甲子園常連校の天理への進学を考えた。私立校での寮生活になる。費用面が心配で、ご飯を食べながら「どうしたらいいかなあ」とこぼした。祖父は「お金のことはおじいちゃんに任せて天理に行け」と言ってくれた。

 入学して入った寮では携帯電話禁止で、両親が寮を訪れた時、携帯を借りて月に1度は祖父に電話した。「頑張れよ」といつも励ましてくれた。

 昨年3月、父から電話があった。「おじいちゃんの体調が悪くなった。迎えに行く」。祖父はがんを患い、入退院を繰り返していた。練習を休み、翌日、俊文さんに会いに行った。

 祖父はベッドに横たわっていた。「帰ってきたんか。野球、頑張れよ」。少ししんどそうに見えたが、いつものように笑顔で言葉をかけてくれた。「ありがとう」と答えた。他に何を話したか、覚えていない。最後の会話になった。

 2カ月後に亡くなった。70歳だった。

 葬儀の翌日。父から「おばあちゃんが呼んでるよ」と言われ、祖父母宅へ向かった。中学時代によく祖父母と一緒に晩ご飯を食べた和室の食卓。祖母は「おじいちゃんの形見を持ってて」と言い、食卓に置いてあった数珠を渡された。俊文さんがいつも左手首につけていたものだった。

 練習の時はかばんにしのばせ、試合では右ポケットに入れて臨んだ。「チャンスの時や大事な時、力になる」と思った。

 甲子園入りしてから不思議なことが起きた。2回戦の後、数珠が見当たらない。探しても出てこない。ショックを受けたが、切り替えた。「打席の度におじいちゃんの顔を思い浮かべている。『よし、きた! 活躍するから見ててな』と気持ちが高まる」。準々決勝は2打数2安打2打点と気を吐いた。この日も二塁打を放ち、塁上で手を突き上げた。

 アルプス席には俊文さんの遺影を手に応援した昭美さんがいた。孫の姿をじっと見つめた。「お父さんは生きていたら誇りに思っていると思う」(米田千佐子、川辺真改)