第4回「理屈じゃない、めちゃくちゃだった」 日米摩擦の本質

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福田直之、編集委員・吉岡桂子
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半導体ウォーズ 第4回

 1980~90年代にかけ、日本も米国と半導体摩擦を抱えていた。

 「俺たちが発明して、俺たちが広めた物をおまえらが横取りして、米国になだれ込んでくるなんてもってのほかだと。平たく言えばそういう論理だった。理屈じゃない、めちゃくちゃだったね」

拡大する写真・図版1986年5月、首相官邸での日米首脳会談を前に握手をするレーガン米大統領と中曽根康弘首相(当時)

 当時、東芝で半導体部門を率いた元副社長の川西剛氏(92)は、日米摩擦の本質をそう振り返る。

 47~48年に米ベル研究所がトランジスタを発明し、小型の半導体真空管に代わって普及した。川西氏らは米国に渡り、技術を一から学んだ。持ち帰った技術は、日本製電化製品が世界を席巻する礎になった。

 70年代初めまで、日米の半導体の用途は分かれていた。米国は軍事とコンピューター、日本は電化製品という具合だ。だが、73年のオイルショック後の半導体不況で、日本勢がコンピューターのデータ記憶に使う半導体メモリーに進出。米国勢と正面衝突した。

 専業メーカーが多い米国勢は…

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