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 43人が死亡・行方不明となった雲仙・普賢岳の大火砕流から満30年となる6月3日に向け、長崎県島原市の雲仙岳災害記念館(宮脇好和館長)で2月下旬から、「いのりの灯(ともしび)」のろうそく作りが始まった。目標は1千個。当日夕方に点灯して犠牲者を悼む。

 初日の2月24日、記念館には6人のボランティアが集まった。長崎の原爆資料館などから提供されたろうそくをドラム缶で溶かし、牛乳パックに流し込む。水中で冷やし、ろうが固まるとパックから丁寧に取り出す。出来上がったろうそくに、メッセージを書き込んで完成だ。6月3日、雲仙・普賢岳を真正面に望む雲仙岳災害記念館のエントランス広場で点灯される。

 「いのりの灯」は子どもたちに噴火災害を伝承していくために始まり、今年で15回目だ。一昨年までは、ろうそく作りも近隣の小学校などで児童も参加して行っていたが、コロナ禍に見舞われた昨年から、記念館で職員とボランティアが制作を担うようにした。

 今年の制作はボランティア中心に担い、メッセージは初めて島原半島内の全小中学校の児童・生徒に協力を呼びかける計画だ。

 ろうそく作りに参加した語り部ボランティアの松本利美さん(74)は、勤めていた幼稚園で教え子の消防団員数人を30年前に失った。噴火が始まって活動中だった教え子たちは、松本さんが当時いた普賢岳ふもとの保育園を訪れ、「こんなところにおると危なかよ」と伝えてくれた。その後、大火砕流に巻き込まれて犠牲になったという。

 「ろうそくを作りながら、命や災害の教訓を無駄にしたくないとの思いが込み上げます。もう30年。記憶が薄れていく中で毎年の『いのりの灯』は意義があります」と話した。(島原通信員・松下英爾)

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 雲仙・普賢岳大火砕流 1990年11月からの噴火開始後にできた溶岩ドームが91年6月3日午後4時過ぎに崩れ、火山灰やガスが混じった火砕流が山腹を駆け下りた。普賢岳ふもとの撮影ポイント「定点」では、報道関係者と彼らを乗せたタクシー運転手が犠牲になり、近くの「北上木場農業研修所」でも消防団員が巻き込まれるなどして、死者40人、行方不明者3人の惨事となった。研修所跡は2003年に災害遺構として整備。定点は今月に整備を終え、掘り起こした3台の車両を展示する。

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