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 大阪府北部のベッドタウン、吹田市はかつて、旧陸海軍の地下施設を多く抱える「軍事都市」だった。昨年の市制80年を機に、市内の戦争遺跡を紹介する冊子を市民団体がつくった。地道な調査で発掘した写真や資料を満載し、異例の増刷となっている。

 冊子「吹田の戦争遺跡をめぐる」はA4判48ページ。戦争の記憶継承をテーマにパネル展や講演会を開いてきた市民団体「世代をこえて考える戦争と平和展実行委員会」が市の助成を受けてつくった。地元在住で、軍事史を専門に関西大と立命館大で非常勤講師を務める塚崎昌之さん(64)が執筆した。

 巻頭では、サッカーJ1、ガンバ大阪の本拠「パナソニックスタジアム吹田」あたりの地下にあった旧海軍山田地下弾薬庫を紹介している。

 弾薬庫は太平洋戦争中の1943(昭和18)年に建設が始まった。45(昭和20)年の敗戦までに総延長約1千メートルに及ぶトンネルが掘られ、弾薬を運び込むトロッコのレールも敷かれた。

 米軍の空襲を避けるために地下につくられたとみられる。敗戦の時点では、対潜水艦用の爆雷や特攻用の軍用機に積む爆弾などが格納されていたという。

 現在の北大阪急行桃山台駅近くに海軍の医薬品を収める地下倉庫があったほか、阪急千里線豊津駅付近では陸軍が、戦時中、ガソリンの代替燃料とされたメチルアルコールを収めるトンネルを掘った。戦後の住宅開発で痕跡が消え、詳細がよくわからない地下施設も多いという。

 「地下壕(ごう)の空間には、忘れられた戦争の記憶が詰まっている」。塚崎さんは府立山田高校の社会科教諭だった93年、生徒と山田地下弾薬庫について調べたことをきっかけに、戦跡の調査にのめり込んだ。

 地域のお年寄りや軍関係者への聞き取りだけでなく、何度も防衛省防衛研究所(東京)などに通い、公文書を丹念に調べた。

 日本側が戦後、地下の倉庫や工場の所在をまとめ、米国戦略爆撃調査団に提出していた「近畿地区疎開工場一覧」は塚崎さんが再発見したものだ。

 なぜ吹田に軍事施設が集中したのか。塚崎さんが注目するのは「東洋一の貨物ヤード」と呼ばれ、軍需物資輸送の拠点だった旧国鉄吹田操車場(廃止)の存在だ。国内最大規模の兵器工場、大阪砲兵工廠(こうしょう)(大阪市)との近さや、丘陵地で米軍機の爆撃を避けやすいと考えられたことも理由とみる。

 23(大正12)年に開業した吹田操車場の建設を含め、重労働の難工事を主に担ったのは日本統治下にあった朝鮮半島出身の人たちだった。「今も地域を外国人労働者が下支えしているように、昭和の歴史も日本人だけで築かれたわけではなかった」と塚崎さん。

 吹田市の山田周辺が、戦前までケシ栽培の中心地だったという秘史も紹介している。ケシは鎮痛剤のモルヒネの原料になる一方、麻薬のアヘンやヘロインのもとにもなった。大阪発祥の製薬会社の発展の礎となるとともに、日本のアジア侵略にも深くかかわっていたと塚崎さんは分析する。

 解説は中学生でも読みやすいように心がけ、施設跡をめぐるフィールドワークのモデルコースもつけた。昨年10月に700部発行するとすぐなくなり、増刷した。希望者には送料込み300円で配布する。

 塚崎さんは「戦争遺跡は市史でも記述が少ないが、身の回りから戦争体験者がいなくなるなか、重要性が増している。過去を知ることは、未来を考える手がかりになる」と力を込める。問い合わせは実行委員会(suitapanel@gmail.com)。(武田肇)

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