大事故に遭遇、井村屋G社長の覚悟「幸せな会社つくる」

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竹山栄太郎

拡大する写真・図版井村屋グループの中島伸子社長=三重県津市、河合真人撮影

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 アイス「あずきバー」や肉まん・あんまんで知られる食品メーカー井村屋グループ(津市)。2年前、女性として同社で初めて社長に就いた中島伸子さん(68)に、これまでの歩みや、女性が働きやすい会社づくりへの思いを聞いた。(竹山栄太郎)

大事故に遭って進路変更、井村屋でバイト

 ――会社初の女性社長です。これまでの歩みを聞かせてください。

 「23歳のとき、自宅近くの井村屋の福井営業所で経理事務のアルバイトを始めました。その数年前に北陸トンネル列車火災事故にあい、煙を吸って声が出なくなりました。夢だった高校教師をあきらめるか悩んでおり、勤めるうちに治ればという気持ちがどこかにありました。社内の標語の募集に応募し、採用されたことが印象に残っています。表彰で初めて本社へ行きましたが、雪が残る北陸から三重県の本社まで長靴を履いて行ったら社長にほめられたことを覚えています。良い会社だなと思い、正社員になる試験を受けて入社しました」

拡大する写真・図版1972年11月に起きた北陸トンネル列車火災事故。出火元となった食堂車は焼け落ちていたという

 「そのうち営業所長になり、営業に出ることになりました。そのころは女性の営業は珍しく、いま思えば『男性に負けちゃいけない』とすごく気負っていました。お客さんから『なぜ女性の営業をよこすのか』『女性から物を買いたくない』と言われたことも何度もありました。ある社長を3日続けて訪ねたことがあります。早朝から出勤を待ち、『話を聞いてください』と言って断られ、泣く泣く帰りました。3日目にようやく会社のなかに入れてもらい、『なんでダメだと言ったと思う』と聞かれて、私は『女性だからですか』と言ってしまったんです。そうしたら『そこが間違っているからだ』とおっしゃった。自分の勉強不足を見透かされたのだと思います。その帰り道、私は『もう男性、女性ということを口に出さないでおこう』と決心しました。経済に強くなろうと、消費生活アドバイザーなどの資格もとりました」

支店長時代、部下からの低評価で辞表提出

 「一度だけ辞表を書いたこと…

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