「ふるさとの海を耕す」藻場の復活へ 佐藤さんの情熱

加藤諒
【動画】海からみた被災地 ~カメラがとらえた水中の10年~=朝日新聞映像報道部取材班撮影
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 「ホタテが揚がってこねんだども、何が引っかかっでらんだべが。潜ってきてけねぇが」――。

 岩手県大船渡市でダイビングショップを営む佐藤寛志(ひろし)さん(46)のもとには、養殖施設の異常を訴える漁師からの連絡が後を絶たない。漁場に潜ると、ロープや網などの漁具、沈没した船、腐食した車など、津波で流出した様々な物が絡まっているという。東日本大震災から間も無く10年がたつ今でも、月に1度はこうした依頼が舞い込む。

特集企画「海からみた被災地」

東日本大震災による津波は、陸地だけでなく海の中にも大きな被害をもたらした。大量のがれき、失われた漁場……。あれから間もなく10年。豊かな海はどう変わったのか。震災3カ月後から継続的に被災地の海を潜水取材してきた朝日新聞フォトグラファーたちが報告する。

 岩手県花巻市出身。タイ南部カオラックでダイビング・インストラクターとして働いていた佐藤さんはあの日、アンダマン海のクルーズ船上で東日本大震災の発生を知らされた。三陸沿岸に住む親戚の安否を案じる一方、「自分が戻ったところで何ができるのだろうか」。帰国をためらう複雑な気持ちで港に戻ると、大量の物資と航空券を用意してスタッフが待ち受けていた。

 「これを持って、とにかく日本に帰ってほしい」。下着や生理用品、インスタント食品に電池。2004年のスマトラ沖地震と津波を経験し、復興の道のりを知る現地の仲間の思いに背中を押された。身長180センチの屈強な体の前後左右に持てるだけの支援物資をぶら下げ、日本へ帰国した。

 震災から4日後、美しかったふるさとの海は、漂流がれきで覆われ、車や家屋、自動販売機など、陸にあったあらゆるものが沈んでいた。「元のきれいな海を取り戻したい」と、胸に刻んだ。全国のダイバー仲間から寄せられた支援物資も車に積み込み、三陸沿岸の知り合いに配り歩く日々が3週間ほど続いた。

 4月にはダイバー仲間と海底の清掃やがれき調査を本格化。「何か手伝えることはありませんか?」と、飛び込み営業のように港を回った。レジャーダイビングが盛んでなく、密漁者のイメージも付きまとう土地柄。大船渡市の漁師及川省吾さん(49)は当時を振り返り、「大柄で浅黒い人がニコニコして寄ってくる。だまされるもんかと警戒した」と笑った。海に潜ってがれきにロープをかけ、漁師と一緒に引き揚げる日々。一日一日と地道に関係を築いていくうちに、3年の月日が経っていた。

 海中のがれきが片付き、漁業が再開し始めると、港ではウニやアワビの漁獲量減少が話題になっていた。津波は海底の藻類にも打撃を与え、それらを食料とするアワビも減少していた。生え始めた海藻を、大量発生したウニが奪い合うように食べ尽くし、岩肌が真っ白になる「磯焼け」と呼ばれる食害も発生していた。

 佐藤さんは沿岸の生態系を再生するため、魚類のすみかとなる藻や海草類を復活させる活動に取り組み始めた。大船渡市の浪板海岸では、マコンブの胞子が入った「スポアバッグ」約100個を岩場に設置し、海草のアマモを砂地に植えた。磯焼け対策を行った海域でウニの身入りが目に見えるように増えると、「そんなことやったって変わらないよ」と高をくくっていた漁師からも一目置かれるようになった。

 佐藤さんは現在、NPO法人「三陸ボランティアダイバーズ」の代表としてウニの駆除や藻場の再生に取り組む「ボランティアダイビング」を主宰する傍ら、三陸沿岸の高校で海洋実習の講師も引き受けている。「自分自身もいつまで潜れるか分からない。ふるさとの海を、自分たちで耕す。そんな『海の活動家』を育てたい」。海から三陸の復興を見つめ続けてきた目尻には、深い笑いじわが刻み込まれていた。(加藤諒)