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 雲仙・普賢岳(長崎県)の噴火災害を記録した資料の収集や活用が進まず、後世への継承が危ぶまれている。43人が犠牲になった大火砕流から間もなく30年。記憶が薄れる中、災害の教訓を再認識するのに記録資料は不可欠だが、地元島原市の保管資料は放置されたまま。民間に眠る資料も散逸しかねない状況だ。

 島原市の住宅街にある市有明農村環境改善センター。普段は無人で施錠されている施設の一室に、市の噴火災害関連の膨大な資料が眠っている。

 溶岩ドームの形を連日記録したスケッチの束があった。めくるとパラパラ漫画のように刻々と形を変える様子が分かる。作成した陸上自衛隊が市に寄贈した。ヘリから火口を撮影し続けたビデオテープもある。

 火砕流を疑わせる振動波形や避難状況、警戒区域など日々の状況変化を記録した火山災害経過表。世帯ごとの詳細な被災状況を記載した冊子――。大半は市の公文書で、その数約1万点。どれも当時を伝える一次資料ばかりだ。

 9年前に市に再雇用された元職員の平尾明さん(72)が、約1年半がかりで目録を作り、整理し直した。分野ごとに整理できなかった資料もあるという。

 「火山資料館資料集合収蔵」と記された段ボール箱が目に止まった。そうした施設への収蔵はかなわないまま、今に至っている。「災害に関わり資料を持つ人は多いはず。受け入れ場所がないと散逸しかねない」と平尾さんは危惧する。

 昨春完成した新市庁舎には、こうした資料の保存スペースは確保できなかった。担当者は「活用には相応の予算も要る。(市の資料は)とにかく紛失しないよう管理したい」と話す。

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 雲仙・普賢岳災害の記憶継承のために2002年、県が総事業費44億円をかけて同市に開いた雲仙岳災害記念館は、資料保存・活用の核にはなり得ないのか。

 観光再生の牽引役(けんいんやく)と期待され、「世界初の火山体験ミュージアム施設」を掲げてオープンした。映像や音、振動を組み合わせた火砕流の体感装置を始め、焼けたカメラ機材やガラスなどの実物、島原大変を物語仕立てで見せるシアターなど、前面に打ち出されるのは「展示」だ。

 一方、記録資料の収集・保管に十分な広さの収蔵庫はない。2人だけの学芸員は年間イベント準備で忙殺され、資料収集には十分に手が回らないのが実情だ。噴火災害を現地で見続けてきた元九州大島原地震火山観測所長の太田一也さんは「資料館としては不十分な状況だ」とみる。

 とはいえ、記念館側も資料活用の重要性は認識している。昨年は広く市民に災害写真の提供を呼びかけ、展覧会を実施した。学芸員の長井大輔さんは「資料活用の態勢が不十分。原爆・平和活動のように、若い世代にサポートしてもらえるような態勢も考えたい」と話す。

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 元島原市職員の松下英爾さん(66)は昨年11月、市災害復興課の幹部もつとめた先輩OB(79)宅を訪ねた。噴火災害の資料を見せてもらうためだ。

 松下さんは2年前から、自ら集めた災害関連の書籍や冊子の展示会を災害記念館で開いている。昨春に会場を訪れたOBが、「役に立てば」と、提供を申し出た。OB宅には災害対策本部が被害状況をまとめた冊子や、避難生活をおくる市民からの手紙があった。松下さんは冊子など十数点を持ち帰った。

 松下さんは市の災害資料を管理する担当部長を務めた。退職後は、当時子どもが使っていたヘルメットや写真など所持資料を同館に寄贈。資料の収集と活用を少しでも前に進めようと、資料数百点を集めた展示会を今年も5月に開く。

 資料と向き合ってきた松下さんが痛感するのは、集めた資料を寄贈できる場の必要性だ。「ここに行けば、原資料が見られるという『災害文庫』ができないか。当時を振り返ることが、きょうからの備えにつながる」(小川直樹)

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