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 【神奈川】東京電力福島第一原発から約8キロ先の福島県浪江町樋渡(ひわたし)地区。そこに、横浜市青葉区で暮らす伊藤まりさん(61)の自宅がある。4年前、樋渡地区に出ていた国の避難指示は解除された。昨年春には被災者向けの借り上げ住宅の供与期間が切れ、夫(60)は自宅に戻った。伊藤さんの心は揺れる。でも、思う。「今はまだ帰れない」

 東京・日本橋生まれの伊藤さんは、社内結婚を機に退職し、1987年6月、都内から夫の実家がある浪江町へと移り住んだ。それから約24年。家業の鉄工所を手伝いながら3人の子を育てた。町の商工会女性部副部長を務め、ロータリークラブの事務局を担い、浪江小学校で英語と国際理解教育の授業を非常勤で受け持っていた。そんな日常を原発事故が奪った。

 あの日。自宅や鉄工所は津波を免れたが、大きな揺れで家中がめちゃめちゃになり、近くの浪江中学校へ避難した。翌日の明け方、「原発が危ない」と防災無線が流れた。町役場の指示で、原発からより離れた町内の津島小学校へ移動。数日後、津島地区の放射線量が高いことがわかり、福島県二本松市内の体育館へ。さらに同県大玉村の旅館へと避難した。4月に入ってガソリンが手に入るようになると、千葉県船橋市の伊藤さんの実家、同県山武(さんむ)市の空き家を経て、2011年10月に青葉区へと移った。

 いま代表を務めるNPO法人「WE21ジャパン青葉」は、青葉区に来て間もなく、ボランティアとして関わるようになった。団体が開いた福島支援の報告会に参加したのがきっかけだった。団体は福島以外にも、国内外の女性の自立や子どもの教育・医療活動を支援している。励まし励まされの活動にやりがいを覚えた。14年に運営委員になり、17年には代表に就任した。仲間からは、あと2年、代表を続けてほしいと頼まれている。

 浪江町のことを忘れたわけではない。ロータリークラブの事務局の業務は今もリモートで続けている。樋渡地区の自宅へは月に1、2回帰り、1日~数日過ごす。だが地区の住民はほとんど戻っていない。知り合いに会うことはほぼない。

 伊藤さんは、別のNPO法人が運営する「横浜市青葉国際交流ラウンジ」で、日本人の国際理解を進める事業企画部会のボランティアもしている。こうした9年余にわたる活動でできた仲間とのつながりを思うと、コミュニティーが失われたままの故郷への帰還に二の足を踏んでしまう。

 鉄工所は震災後、稼働していない。自宅に戻った夫は、数人の仲間と過ごす時間もあって独りぼっちでないのが何よりだ。

 震災10年は一つの区切りのように言われる。生活再建がままならない中、伊藤さんは原発事故が忘れられることを恐れている。

 「福島第一原発の敷地内のタンクにたまり続ける汚染水の処分はこれから。事故で溶け落ちた燃料デブリの取り出しも着手できていない。子どもたちの世代まで廃炉作業を強いる中で、事故を決して風化させてはいけない。首都圏の『電気のふるさと』の福島から、目を背けないでほしい」

     ◇

 「WE21ジャパン青葉」は11日、浪江町の原発事故被災者を追ったドキュメンタリー映画「ひとと原発~失われたふるさと」の上映会を開く。上映後には、映画を制作した脚本家・映画監督の板倉真琴さん(60)=東京都八王子市=と、映画に登場する伊藤まりさんの対談もある。

 板倉さんは2015年10月、地元の人に誘われて初めて浪江町に入った。その後、何度か足を運ぶ中で、世間に広がる復興のイメージと現実の落差を目の当たりして映像に残そうと決意。19年にクラウドファンディングで制作費を調達するなどして、ほぼ完成の段階までこぎ着けた。11日に上映するのは約90分に縮めたもので、正式な完成は4~5月ごろになる。

 板倉さんは「行政はインフラ整備を進めて復興を強調するが、真の復興とは『人の復興』のはず。いまだに苦しんでいる原発被災者の生の声を、映像を通して伝えたい」と話す。

 上映会は午後1~4時、横浜市青葉区市ケ尾町の青葉公会堂で。会場は定員に達したが、Zoomによるオンライン参加は6日まで受け付けている。申し込みは、メール(mariitonamie@outlook.jp)かファクス(045・915・9606)で。無料。問い合わせはメールで。(茂木克信)

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