震災避難者千人受け入れた村

遠藤雄二
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 最大震度6強の地震があった翌日の2月14日。尾瀬のふもとの群馬県片品村で民宿を営む千明勉さん(63)は、福島県南相馬市の看護師佐藤江美さん(52)に「大丈夫か?」とメールを送った。

 佐藤さんからすぐに返事がきた。「とりあえず大丈夫です。余震が時々あってビクビクしながら、家の中の片付けをしています」

 片品村は10年前の東日本大震災直後、福島から県内で最多の938人の避難者を受け入れた。当時、村の民宿旅館組合連合会の会長だった千明さんは、自身の民宿で30人近くを受け入れた。佐藤さんはその1人。高齢の母親と2人の娘と4人で7月まで避難した。

 佐藤さんは村の臨時職員となり、宿泊施設に分散した避難者の健康管理を担った。長女は尾瀬高校に一時通い、次女は片品中学校で入学式を迎えた。

 「避難する時は、どこに行くかも分からず不安でいっぱいでした。千明さんをはじめ村の人たちに優しくしてもらい、救われました。部屋で家族が一緒に寝られ、恵まれていました」と佐藤さんは感謝する。

 震災直後、村の宿泊施設はスキー教室の団体客などの予約がほぼすべてキャンセルとなった。食材を大量に仕入れていた宿も少なくなかった。千明さんは、テレビに映る津波の映像や、東京電力福島第一原発の事故のニュースを見て、避難者の受け入れが頭に浮かんだという。

 「何かしなくては」。当時の村長千明金造さん(73)も考え続けていた。東電管内では広範囲で計画停電が実施されたが、「片品村は計画停電はない」と13日夜、東電から連絡が入った。村には東電の水力発電所が立地し、貴重な電力を送る側だからだ。村には200軒を超す旅館や民宿があり、「電気があれば避難者を受け入れられる」。村長は決断した。

 14日朝、村の幹部を集めて方針を決定。連合会長の千明さんを役場に呼んだ。「3食付きで1日1人2500円で頼めないか」

 千明さんは「はい」と即答。2人の30分ほどの会談で千人規模の受け入れが決まった。村長はそのまま前橋市群馬県庁に車で向かって県幹部に意向を伝え、福島県側との調整の結果、南相馬市からの避難者受け入れが決まった。村がバス会社から集めた大型バス23台が南相馬へ向かった。

 バスに分乗した900人を超す避難者が村に着いたのは18日深夜。村民たちは「皆さんの安心を共に築きたいです」と書いた横断幕を持って出迎えた。

 避難者は約40カ所の民宿などに分宿。宿は1家族1部屋を原則とした。多くの宿は、避難者自身に掃除や料理作りをしてもらった。「(被災者が)悲観して自ら命を絶つようなことがあってはならない。家庭で暮らすようにしてくれ」。村長が宿の経営者にそう要請したからだった。

 物流が寸断され、ガソリンや灯油の確保に苦労したが、人口約5千人(当時)の小さな村の避難者受け入れは全国に報じられ、応援のメールや6千万円を超える寄付が寄せられた。

 職に就き村に数年住んだ人もいたが、いまも残る人はいない。ただ、震災前は縁の薄かった雪深い山村と太平洋岸の街で、人と人との交流は続いている。(遠藤雄二)