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 この人をずっと笑わせ続けたい。彼女のかわいい笑顔を見て、岩手県釜石市の美容師・片桐浩一さん(51)は思った。いつも店へ髪を切りに来る女性。いつしか、かけがえのない存在になった。

 10歳の年の差から、最初は結婚を反対された。彼女の両親を説得し、2010年6月26日に結婚。「震災のとき、理香子は31歳。俺、もう51になるのか」

 あの日、鵜住居地区の幼稚園で働いていた理香子さんは、同僚と一緒に園児を連れて防災センターへ避難した。おなかには4月23日に出産予定の長女がいた。陽彩芽(ひいめ)ちゃん。明るく、人生に彩りがあって、初心を忘れない子に育ってほしいと願い、名付けた。

 「俺にとっての3・11は15時24分。センターに津波が到達したとき」。多くの人が犠牲になった建物はその後、解体された。「理香子や亡くなった人の墓標として、津波を知らない人に伝えるためのものとして、残したかった」。毎年3月11日は店を閉め、あの日と向き合う。

 18歳で美容師になって以来、1度も仕事を休んだことがなかった。震災直後も、泥まみれになった店からハサミを持ち出し、避難所にいる人たちの髪を切った。きれいになった自分の姿を見て、顔がほころぶ。その周りに人が集まって、にぎわいが生まれる。「美容師は人の笑顔をつくれる」と実感した。

 片桐さん自身は震災後6年間、一度も髪を切らなかった。理香子さんと過ごした時間が、過去のものになってしまう気がしたから。腰より下に伸びた髪を一気に丸刈りにしたのは17年、店の20周年を祝うイベントでのこと。心配してくれる周囲の声や復興が進むまちを見て、自分も「前へ進まないと」と決断したが、何も変わらなかった。

 今も、2人で暮らしたアパートに住み続けている。内装は当時のまま。理香子さんのことを考えない日はない。けんかしたことがない2人だった。仕事のつきあいで飲んで夜遅く帰ると、そばを作ってくれていた。「あの人は自分より人のことを優先する人だから。私はついていくだけ」と言っていた理香子さんは、一番の理解者だった。

 「理香子と同じ苦しみを味わっていない自分がのうのうと生きていることが嫌。できれば震災の前日に戻りたい」。常連客と2人きりのときには、一緒に声をあげて泣く。

 震災のことを思い出し、発作的に「ここからいなくなりたい」という感情にさいなまれる。明るさを取り戻しつつあるまちや人との間に感じる隔たり。「いつかこの差について行けなくなるかもしれない」

 それでも、そんな様子は見せないようにしている。「せっかく前を向いて歩き出した人に、自分がまだ苦しんでいる姿を見せて足を引っ張りたくない」。だから、胸にしまって、鍵をかけて生きていくつもりだ。(御船紗子)

     ◇

 あなたに会いたい――。突然の別れから10年。大切な人を想(おも)い、生きてきた。

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