拡大する「YATSUI FESTIVAL!」で演奏する大友良英さん=2018年、東京都内、撮影・Soshi Setani
「福島愛なんてゼロだと思っていました。でも、震災が起きると福島の方しか見えなくなって。自分でも意外、すごく意外でした」
音楽家の大友良英(よしひで)さん(61)は、10代の思春期を過ごした福島に対する思いをこう語った。
拡大するインタビューにこたえる大友良英さん=2021年2月、東京都内で
フリージャズに憧れ、ミュージシャンになりたいと、大学進学とともに上京した。実家のある福島は、盆暮れに帰るだけの街となった。4日後に欧州ツアーに出発するはずだった2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
小学3年生の時に横浜市から引っ越し、10代の思春期を過ごした。「どこか生意気で、福島は青春のトラウマ地帯だった」と振り返る。だが、ドイツの反原発デモで「ノーモア・フクシマ」のプラカードが掲げられている映像をニュースで見たとき、自分の中に福島のアイデンティティーがあることに気がついた。「『原発はノーモアだけど、福島はノーモアじゃねえぞ』って」
拡大する一般参加の「オーケストラTokyo Fukushima!」で指揮する大友良英さん=2011年、東京・井の頭恩賜公園
震災以前は、即興やノイズの演奏に秀でた前衛のミュージシャンとして、主に音楽通の間で知られた存在だった。1990年代に欧米の各地で開催される音楽祭を巡り、香港や中国でいくつもの映画音楽を担当するなど海外を中心に活動した。2000年代に日本に拠点を移し、映画やテレビの音楽や、音を用いた美術作品を発表するようになった。
「ああ、人生でやることはほぼ決まった。後はこれを究めていくだけだと思っていたら、震災が起きたんです」
◇
「8月15日に福島で『原発なんてくそくらえ』っていうフェスをしたい」。
そう相談してきたのは高校の先輩でもあるロックミュージシャンの遠藤ミチロウさん(故人)だった。震災から2カ月後の5月、遠藤、詩人の和合亮一と一緒に「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げた。「音楽で何かが解決できるなんて1ミリも思っていなかった。ミチロウさんの気持ちは分かるけど、福島はそれどころじゃないし、原発被害のひどさを言うことに福島の人は耐えられないかもしれない。でも、ちょっと待てよ。フェス開催を打ち上げてその思考過程を公開すれば、この先をみんなで考えるきっかけになると思ったんです」
拡大する第1回の「フェスティバルFUKUSHIMA!」で、大オーケストラの即興演奏を指揮する大友良英さん(右端の帽子)=2011年8月、梅原渉氏撮影
その年の8月15日。大友さんたちは「フェスティバルFUKUSHIMA!」を福島市内で開き、約1万3千人を集めた。全国から寄せられた布を縫い合わせたカラフルな「大風呂敷」で会場を覆い、放射性物質の対策の布を福島再生の願いを込めたアートにした。「音楽では何も変わらないけれど、音楽の場を作ることで、何か動くものがありました」
拡大する札幌国際芸術祭でのライブで演奏する、のんさん(中央)と大友良英さん(左)=2017年、札幌市東区、白井伸洋撮影
フェスの当日、旧知のディレク…
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