森氏を「話の長いおっさん」と書いて、反省してみた
記者コラム「多事奏論」 日田支局長 近藤康太郎
へんなメールが来た。件名に「このまえの多事奏論はつまらなかった」とある。本文は空っぽ。切り捨てご免。
なにやつ!? 無礼を申すと許さんぞ。対面だったらすごんでみせるところだが、送り主は新聞社の大先輩で、現役時代はおっかないデスク(原稿の直し役の上司)だった。まあ勘弁してやることにする。
しかし、なんだか妙に気になった。「つまらなかった」とあるのは、「猟は忍耐を伴う だから女と男は平等なのだ」(2月6日付)のコラムだろう。人類の長い狩猟採取生活では、女と男はきわめて平等だったはずだ。入試や昇進で女性が差別される社会は、だから設計からして間違っている――。猟師としての自分の体験から、そう持論を書いた。その論旨が「つまらない」のでは、おそらくないだろう。なかに書いた一節、「『女性がいる会議は時間がかかる』と、自分こそ話の長いおっさんに(女性は)揶揄(やゆ)されたりする」というのが、お気に召さなかったのではないか。
話の長いおっさんとは、いうまでもない、森喜朗氏のことである。五輪組織委員会の会長の座にあって、前述の放言をした。国際的な批判の嵐で、辞任した。
わたしのコラムの末尾は、大きな制度であろうと五輪組織委の会長だろうと、「なんであれ世界は変えられる。それが、人の作ったものであるならば」と締めている。珍しく予言が当たった。うれしい。
しかし、「おっさん」呼ばわりは、どうだったろうか。ぎりぎりセーフの線ではないかと、わたしは思って書いた。じじつ、何人かの読者から「うけた(笑)」という反応をもらった。しかし、うけりゃいいのか、という問題は、ある。
当の森氏の放言は、わたしに…