第7回父は言った、「無理に食べてもらうもんではないからね」

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大内悟史
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 「おいしそうだから、パパは食べるもんね~」

 ぼくはおどけた調子で宣言し、福島県いわき市の実家のコシヒカリなどを使った母、大内富美子(ふみこ)(73)お手製の太巻きを三つ、四つ、と口に詰め込んでみせました。4歳になった双子(長女と長男)と、まもなく2歳となる次男も次々に手を伸ばし、太巻きをおいしそうにほおばり始めました。2011年10月の話です。

 少しひきょうな手だったかもしれないとすぐに反省しつつ、ぼくは妻の表情を確認しながら、放射能の話を急いで付け加えました。幼児がいる場でも難しい話を省略せず、一生懸命に伝えるのが我が家のやり方です。

 「福島県原発事故が起きたのは知っているよね。放射能の問題でいわきのおじいちゃんとおばあちゃんがつくった野菜を最近食べていないのも知っているよね」

 3人の子どもが口をもぐもぐさせながらうなずきます。

 「とりあえず今日は、たまにだから食べてもいいと思うんだ。だって、おいしいんだもん」

 「そうだよ、おいしい」「おいしいね~」

 しまいに妻も苦笑し、「おいしい」の大合唱になりました。事故後に初めて食べた故郷の食材でした。両親は30キロの新米を置き土産に、いわきへ帰りました。

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 実家の半壊や祖母の震災関連死。放射能の数値。そして両親は70歳代に――。東日本大震災の被災地である福島県いわき市に生まれ育った47歳の記者が、この10年間に故郷の農村と家族の身の回りに起きた出来事を、10回にわたってつづります。

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