第10回震災、原発事故、加速する過疎化… 福島に待つ未来とは

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大内悟史
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 「あれっ、こらっ!」

 福島県いわき市の実家近くの田んぼで、父の大内義洋(よしひろ)(78)が声を上げました。昨年11月、ぼくは新型コロナウイルスの感染状況をにらみながら、この年初めて単身で帰省していました。

 父から草刈り機やチェーンソー、トラクターなどの使い方を教わりながら、ふと振り向くと、田んぼの中で小さなイノシシ3頭が鼻を動かし、せっせと土を掘ってエサとなる虫を探していました。体長約70~80センチ。体にはしま模様はなく、いわゆる「ウリ坊」よりは大きく見えました。かなり近づいたところでようやくこちらの気配に気づいたらしく、あとは一目散に逃げていきます。田んぼを囲む金属の柵のすき間に頭を突っ込んで何度か身をよじり、なんとか抜け出して姿を消しました。

 2011年の東日本大震災東京電力福島第一原発の事故から10年。故郷では「放射能の代わりにイノシシが出る」ようになっていました。父によると、イノシシが姿を見せるようになったのは13~14年のこと。いわき市の北隣に位置する福島県の浜通り地方の避難区域で、人と自然の均衡が崩れた影響が周辺地域に及んだ形、とでも言ったらいいのでしょうか。

 高齢化が進む農家にとっては、柵を設置するなどの野生動物対策の負担は重く、精魂込めた農産物が荒らされるショックも大きいものがあります。中山間地の実家周辺では年々、稲刈りなどの農繁期の作業を中心に、大規模な専業農家に仕事を任せる家が増え、耕作放棄地も目立ち始めています。

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 実家の半壊や祖母の震災関連死。放射能の数値。そして両親は70歳代に――。東日本大震災の被災地である福島県いわき市に生まれ育った47歳の記者が、この10年間に故郷の農村と家族の身の回りに起きた出来事を、10回にわたってつづります。

 「損得じゃない。できれば先…

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