濱口監督が役者に脚本を「何度も無感情に」読ませる意味

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佐藤美鈴小峰健二、編集委員・石飛徳樹
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 第71回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で濱口竜介監督のオムニバス作品「偶然と想像」が、最高賞に次ぐ審査員大賞(銀熊賞)に選ばれた。「短編に大きな可能性を感じていた」という監督が、初めて「短編集」という形で製作し、「40代通じての仕事としたい」とも語る作品。受賞結果の発表前、濱口監督に作品に込めた思いやベルリン映画祭への出品、独自の演出法について聞いた。

 ――ベルリン映画祭のコンペに入ったことについてどう受け止め、どんな点が評価されたと思いますか。

 どんな点が評価されたかはよく聞かれるんですけど、分からないということに尽きますね。向こうが選ぶ基準なので。ただ、選んでいただいたことは本当にうれしいと思っています。映画祭のコンペというのは映画祭の顔でもあるので。3大映画祭と言われるベルリンのラインアップに加えてもらえたことは、とてもうれしいと思っています。

 ――ベルリン映画祭への参加は初めてですが、昨年からディレクターを務めているのは、「ハッピーアワー」が受賞した時にロカルノ国際映画祭ディレクターだったカルロ・シャトリアン氏ですね。

 影響しているかどうかは分かりませんが、カルロだったらこの作品のよさを分かってくれるんじゃないか、という気持ちでエントリーはしました。すごくささいなことを取り扱っていて、形式も内容もすべて目立ったところはない映画ではあるので。ただ彼は「ハッピーアワー」をロカルノのコンペに入れてくれたというのがあったので。実際カルロもとても気に入ってくれているようで、よかったです。

 ――今までも短編は作っていますが、3話からなる「短編集」という形にしたのは初めてですね。

 短編は昔から作るのは結構好きで、長編とは全く違う心持ちで作れる。役者さんとすごく濃密に向き合うことができる可能性があるんだと短編に関しては思っていた。ただ、日本においては短編は「出口」の問題がある。少なくとも劇場ではすごくかかりづらい。それは何とか解決したい。劇場で見てもらえることは僕にとって、とても大事なので。どうやったらそうできるか考えたときに、ごく自然と三つほど短編を連ねれば長編サイズの映画ができるので、そういうふうにして見てもらおう、と。ただ単に三つ並べただけでは何のことかわからなくなるので、テーマを作って一つの流れをつくって提示をしようと思っていました。

 ――「偶然」と「想像」というテーマを選んだ理由を教えてください。

 テーマとして「偶然」は、とりわけ今回というわけではなく、ずっと扱ってきました。ただ、偶然の取り扱いというのは非常に難しくて、長編で物語を進める形で出てきてしまうとご都合主義になってしまうし、一方で物語と関係ない偶然というのは現実への目配せ程度にしかならない。偶然を効果的に使うのは作劇上難しいことなんですけど、今回は偶然を取り扱います、とタイトルで大々的にいうと、偶然が出てきても観客はこれを扱っているんだな、と受け止めてくれるんじゃないかという期待のもとにやってみました。偶然というものは非常にささいなもの。日常を過ごしていて、あれ?ちょっと今までとは違う、というところが偶然によって起きる。その時にあまりにそれがわずかなこと、日常にほんの少しの変化を加えるようなことなので、偶然がある世界とない世界というのが想像される。あの時会わなかったらこうなってはない、あの時あれを見つけてなかったらどうなっていただろう……そういう想像力が引き起こされる。想像力にまつわる話を必然的に扱っているという気がして、こういうシリーズになっていった感じです。

 ――社会的なテーマも取り入れていますが、映画における現代性についてはどう考えますか。

 そうですね、時事的なことというのはあまり興味がないというのが、すごく正直なところです。現代的なもの、時事的なものというのは基本的にはいつか古びるものなので、あまり映っていないほうがいいだろうと思っています。ただ、どうしたって現代を生きているし、現在を映さざるを得ない。まず現在の風景というのは入ってこざるを得ない。現実を変えるということはできないので、現実を撮るということから始めなきゃいけないし、現実というものをうまく物語の中に取り入れていかないといけないところがある。あと、僕自身もこの時代の中に生きているので、ムードというか、感じていることは当然あるわけです。そういうものは反映されざるを得ない。

 ――第3話は、コンピューターウイルスでインターネットが使えなくなる設定ですが、これはどこから出てきたものですか。

 第1、2話は2019年のうちに撮っていて、コロナの影響を受けていません。第3話はコロナの影響でタイミングが後ろ倒しになって、本当は春ぐらいに撮りたかったんですけれども緊急事態宣言が出ていたということもあって、脚本や大まかな流れは出来ている状況で、それこそ先ほどの気分の問題でこのコロナというものがない世界で撮ることはできるけれど、なんか気持ちが悪いという気がした。物語自体は気に入っているし変えたくもないけれど、自分の座りの悪さを解消するために、この人たちはこういう困難なことに遭っています、という設定を入れた。ただやってみたらこっちの世界の方がずっといいなあっていう気がしました。自分の肌感覚でしっくりくる方向になんとか変えていく感じでした。

 ――会話劇ともいえる今作では、哲学的なせりふもとても印象的でした。どうやって思いつくのですか。

 最初はアイデアの種みたいなものが日常に転がっているものとしてあって、それから非現実的な物語構造を考えて、僕自身の好みとして、ある程度現実的な会話というものから一体どうやって非現実的な物語構造を実現できるかということを、構造とキャラクターを戦わせながら話させるというか。そういう感じです。

 ――「偶然と想像」は7話のシリーズを予定されていて、「このシリーズを自分の40代通じての仕事としたい」とコメントされていました。

 これは本当に長い時間をかけてやろうと思っていて、残り4話のタネだけあるという感じです。これだけをやっていくというわけではないのですが、リズムをつくっていくのにすごくいいな、とやっていて思った。1話1話かなり時間をかけてとっているので、その時その時に自分が考えている課題とか、こういうことを試してみたいとか、そういうものを入れ込んでいくということになる。結果的にそれは長編との間のリズム、というところになっていくと思うんですけど、そういう風にリズムをつくっていくものとして、改めて発見し直したという形です。

 ――「本読み」と呼ばれる独特の演出方法は今回も取り入れているのでしょうか。

 それはずっとやっています。どちらかというとこの方法を確かめ、メンテナンスをする、そういう感じで、本読みをすることがありきの3話だったと思います。本読みをするために脚本自体書かれているところがあって、自分の技術というか、そういうものをチェックする、そういうためにもやっています。

 ――改めてその方法と魅力を…

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