家族で囲む食卓 「当たり前の幸せ」感じた10年

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西畑志朗
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 大切な人、住み慣れた町を一瞬にして奪われたあの日から10年が経ちます。残された人たちは苦悩を抱えながら、互いに支え合い、生きてきました。

 私たちは、家族の歩みをカメラで記録してきました。写真には、それぞれが見つめる「あなた」への思いが詰まっていました。

 笑顔が写っていたのは、「一枚」だけだった。

 地震発生の直後から1週間。私は、東北沿岸部の被災地を取材した。がれきで埋め尽くされた町。肩を寄せて泣く人たち。写した5347枚のうち、避難所でおにぎりを食べる親子の姿が、ずっと心に残っていた。

 宮城県南三陸町の体育館にいたのは、畠山寿美さん(46)と煌世(こうせい)さん(14)。震災から6日後、寿美さんはようやく笑顔で食べ物に手を付けられるようになった頃だった。

拡大する写真・図版避難所となった歌津中学校の体育館でおにぎりを食べる畠山寿美さん(右)と煌世さん=2011年3月17日

名前も知らないけれど、笑顔が忘れられない。ポッドキャストでは、西畑志朗記者が2人を探した当時を振り返ります。

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 2011年3月11日、大きな揺れが起きた午後2時46分、寿美さんは職場、4歳だった煌世さんは保育所にいた。すぐに煌世さんを車で迎えに行った寿美さんは、母親の安否を確認するため実家に移動。既に避難していた母親を追って高台に移動した直後、津波が町を襲った。

 寿美さんがそこから見たのは住み慣れた町、幼い頃過ごした実家が津波に流される光景だった。「家々がぶつかり合い押し流され、生まれ育った家が目の前から無くなった。何も考えられず、ぼうぜんとしていました」

 その後、寿美さんは煌世さん…

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