「ご免な、お母さん」津波が奪った妻へ、梁に残した後悔

東野真和
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 〈2011年(平成23年)3月11日午後2時46分発生。自宅は全壊し流されたが、妻ケイの姿は見当(た)らない。どこへ行った?〉

 岩手県大槌町吉里吉里の東谷藤右エ門(あずまやとうえもん)さん(87)は、3年前に再建した自宅の梁(はり)に震災時の様子を筆で書き記した。「自分の思いを、子孫にずっと語り継いでもらいたい」との思いからだ。梁は、震災前に住んでいた家の柱を使った。

特集企画「生きる、未来へ」

3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

 10年前、大きな揺れが起きた時、ケイさん(当時74)は自宅近くで生協の共同購入品を仕分けしていた。ケイさんが帰宅したとき、東谷さんは理事長を務める保育園の園児を避難させるため、海の近くの園舎に向かうところだった。

 「ここさ、いろよ」。東谷さんは、ケイさんにそう言って出かけた。自宅は山側の少し高い場所にあり、「ここまでは津波は来ない」と思った。震災後、近所の人から「ケイさんは家から出たり入ったりしていた」と聞いた。「逃げろと言えばよかった」。東谷さんは今も悔やんでいる。

 〈流された自宅は金比羅神社付近にあり、自宅の解体作業は3月17日から3日間、重機によって進められた〉

 〈津波発生から8日目の3月18日午前9時頃、行方不明になっていた妻ケイの遺体が解体中の茶の間の付近で発見された。衣服もぬれることなく、五体そのまま、眠っているように、俺の帰りを待っているようであった。ご免な、お母さん。合掌〉

 仏間や玄関の梁に記した文は、ケイさんの7回目の命日の18年3月11日に書いた。実寸の長い紙に下書きした後、建築中だった建物の中に入り、一気に書き上げた。自宅はその年の5月に完成した。

 一人暮らしだが、お盆や正月には3人の子が孫やひ孫を連れて里帰りする。梁に書かれた文を読んでもらい、「津波が来たら逃げることを肝に銘じてほしい」と願っている。

 ケイさんと50年以上連れ添った。「働き者で、工事現場で働いたお金でスーツを仕立ててくれたこともあった。日本一の妻でした」。狭い場所に閉じ込めたくないと思い、仏壇は置いていない。位牌(いはい)や遺影は、金箔(きんぱく)を施した壁に棚をつけて置いている。

 今も保育園理事長を続け、地元の吉祥寺の檀家(だんか)の総代長を務めるなど、地域の相談役として慌ただしい日々を送る。それでも朝夕必ず、ケイさんの遺影に向かい、その日の予定や一日に起きたことを話す。

 「会話しているつもりだけど、相手は無言。一回でいいから、相づちでも打ってほしいんだけどね」東野真和