【動画】空から問い続けた、復興とは ブルーインパルスを卒業した佐藤貴宏さん=長島一浩、関田航撮影
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 航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」のパイロットの一人が2月末にチームを「卒業」した。東日本大震災の被災地、岩手県山田町生まれの佐藤貴宏さん(35)。空から復興を考えた3年半。ラストフライトで抱いた思いとは。

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 2月半ば、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地。訓練飛行を終えた「T4ブルーインパルス」のコックピットが開き、佐藤さんは晴れやかな笑顔を見せた。

 震災が起きた2011年3月、佐藤さんは奈良市にある空自の教育機関の学生だった。

 11日の午後、グラウンドにいた時、建物から教官が飛び出してきた。「日本が大変なことになった」。テレビをつけると、ちょうど故郷の山田町が映った。生まれ育った町並みが、黒い海にのまれていた。

 現地に住む親族の安否がわかったのは、数日たった後。避難所の壁に貼られた手書きの名簿から、友人が親戚の名前を見つけてくれた。小中学校時代のクラスメートや、近所に住んでいた人たちが犠牲に。山田町の死者・行方不明者は800人を超えた。

 全国の自衛官が被災地に派遣され、がれき撤去や不明者の捜索に当たった。だが、佐藤さんはパイロットになるための学習中の身。現地に派遣されることはなかった。故郷のために動けないのが歯がゆかった。

 ジレンマのなか、上司に頼み、パイロットが無線で呼び合う「タックネーム」を「リアス」にした。初配属の部隊でつけられ、パイロットとして生涯使う名前。海岸線が入り組んだ故郷のリアス海岸からとった。震災を胸に刻みたかった。

 希望がかない、ブルーインパルスに配属されたのは17年夏。航空祭などで、被災した人から「元気をもらった」と言われると、うれしかった。

【動画】ブルーインパルスのコックピットから見える景色=長島一浩、関田航撮影

 19年9月。ラグビーのワールドカップ(W杯)の試合に合わせ、岩手県釜石市の上空を飛んだ。その帰り、パイロットになって初めて山田町の真上を飛んだ。その景色は、生まれ育った故郷ではなかった。「町並みがもう全然、更地というか。新しい道路はあるけど、建物はポツポツで。寂しくて」

 普段、松島基地の近くを訓練で飛びながら、目に入る景色に感じてきた寂しさと同じだった。人生が暗くなってしまった人、今もきつい人がたくさんいると聞いてきた。この景色を「復興」と言っていいのか。戸惑った。「震災は全然終わってないのに、終わった風にしてはいけないよな」と思った。

 昨年、東京五輪の聖火がギリシャから松島基地に運ばれた際に歓迎したり、都内で新型コロナに対応する医療従事者たちに感謝を伝えたりするフライトに臨んだ。これらの際にも、「震災が終わっていないことを思い出してもらう機会に」という願いを込めた。「自分が飛ぶ意味はそこにあるかなと思うんです」

 2月19日、ブルー隊員としてのラストフライトを終えた。3月からは別の部隊で勤務している。震災10年の節目への思いを尋ねると、佐藤さんはきっぱりと言った。「10年と聞かれるのは好きじゃない。隊員としての区切りも、震災10年という区切りも意味はない。終わっていないし、ずっと被災地を伝えていく。名前はこれからもリアスですから」(伊藤嘉孝)