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 私、この子のお母さんになったんだ。前田香瑋(こうい)さん(38)は、生まれたばかりの小さな体をそっと抱き寄せたのを覚えている。逆子で、帝王切開での出産だった。中国と日本の架け橋、アジアの希望のような存在になってほしくて「亜希」と名付けた。

 中国・連雲港市出身。日本に憧れ、大学で日本語を学んだ。2003年、技能実習生として来日し、岩手県大船渡市の水産会社で勤務。同僚の哲平さん(38)と結婚し、陸前高田市で暮らし始めた。08年に生まれた待望の第1子が亜希ちゃんだった。

 11年2月、中国に家族で里帰りし、春節を祝った。「新年好(明けましておめでとう)!」と片言の中国語を披露してまわる亜希ちゃんを、親戚みんなが順番に抱きあげた。

 日本に戻って1カ月も経たないうちに震災が起きた。亜希ちゃんがいた保育園は津波にのまれて全壊。迎えに来た哲平さんの祖母とともに、行方がわからなくなった。

 見つかったのは4月に入ってから。遺体安置所で渡された服をめくると「亜希」と自分が書いた字があった。両手の小さな爪も、おなかにあるほくろも、認めたくないけど間違いない。2歳9カ月だった。「見つかってよかったね」。周囲にそう言われ、悔しさがこみ上げた。

 死んじゃったんだよ、よいわけないじゃん。「もうここでは暮らせない」と思った。

「幸せになっていいのかな」

 その夏、盛岡市に引っ越した。同じ頃、新たな命を授かったことがわかった。12年に哲希君(9)、その2年後に江平君(6)が生まれた。元気よく走り回る2人の男の子を前に、笑顔になった。

 絵本や紙芝居の読み聞かせのボランティアも始めた。初めての読み聞かせは小学校4年生の教室。自分の肩くらいの背丈の女の子たちがいた。

 「生きていたら、こんなに大きくなっていたの?」。思わず探した。姿はなかったけど、そこにいて自分の話を聞いてくれている気がした。亜希ちゃんのために読むんだと思いながら、読み聞かせの練習をした。

 12歳になるはずだった、昨年6月19日の亜希ちゃんの誕生日。哲希君はお小遣いの千円札を握りしめ、1人で出掛けていった。買ってきたのはピンク色のカーネーションの花束。「お姉ちゃんはピンクが好きでしょ」

 その夜、家族4人でケーキを囲み、バースデーソングを歌った。「天国に届きますように」とつぶやいた哲希君が、江平君と一緒にろうそくの火を勢いよく吹き消して、みんなが笑った。

 家族の命を守れなかったという悔いは消えない。求めてきたはずの幸せを感じながら、考えることもある。「幸せになっていいのかな」

 それでも、確かなことが一つある。家族みんなの心の中に亜希ちゃんが生きている、ということだ。

 「亜希にとって、やっぱり私はたった一人のお母さん。だからこれからも、亜希が自慢したくなるようなお母さんでいたい」(太田原奈都乃)