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 10年前の3月9日、最大震度5弱の地震が東北地方を襲い、津波注意報が発令された。到達した津波は小さかったこの地震。備えをしっかり見直した学校がある一方、「やっぱり津波は大したことないな」と思った人も少なくなかった。そして2日後、こんどは巨大津波がやってきた――。(肩書は当時)

特集企画「生きる、未来へ」
3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

 宮城県の南端・山元町の海のそばにあった中浜小学校。9日昼前の揺れは、震度3だった。

 井上剛校長(63)は赴任して1年足らず。前任者から「ここは津波が来る」と聞かされていた。テレビを見ると「50センチ」の注意報だ。2階建ての学校は敷地がかさ上げされている。「2階に避難すればいいだろう」と判断し、指示をした。

 3時間後に注意報解除。あれ? 違和感が頭をもたげた。「避難マニュアルでは、内陸の中学校に逃げるはず……」。教頭と教務主任を呼び、一緒にマニュアルを読み返した。

 確かに「津波のときは中学校に」とあるが、「安全な避難場所まで20分」と、注釈もついていた。実際に歩いてみた時間だ。これでは間に合わないかもしれない。3人は「津波の来る時間を基準に」と決めた。余裕があれば、より安全な中学校に逃げる。

 10日朝の全校集会で呼びかけた。「今後大きな地震がくるかもしれない。ずきんを着けて避難しよう」。前日、高学年で着けない子がいたのが気になった。先生たちには3人の話し合いの結果を伝えた。

 そして11日。揺れの3分後に大津波警報が流れ、到達予想時刻は「10分後」だった。井上さんは上階への避難を決断。2階の天井付近まで浸水した。児童ら90人が屋上で一夜を過ごし、次の朝、全員救助された。

 「打ち合わせが教員の意識の共有に役立った。小さなことを見逃さず、『もしかしたら』と思うことが大切だ」

特集企画「海からみた被災地」
東日本大震災による津波は、陸地だけでなく海の中にも大きな被害をもたらした。大量のがれき、失われた漁場……。あれから間もなく10年。豊かな海はどう変わったのか。震災3カ月後から継続的に被災地の海を潜水取材してきた朝日新聞フォトグラファーたちが報告する。

「命が惜しかったら、きちきちと動きなさい!」

 岩手県大船渡市の越喜来(おき…

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