原発事故を経験、私は権力に貪欲になった 枝野幸男氏

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聞き手 編集委員・秋山訓子
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 東日本大震災の発災時、民主党の菅直人政権で、政府内の総合調整と情報発信を担っていたのが、官房長官枝野幸男氏だった。未曽有の災害対応から得た教訓は。野党第1党を率いる立場から、いま考える残された課題とは。

 「官邸地下の危機管理センターに駆け込むと、『万単位の方が亡くなるだろう』という情報を突きつけられました。そこから1週間は官邸に張り付き。官邸内にある官房長官公邸には、1カ月くらい入りました」

【特集】東日本大震災を語る

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 「1年生議員だった1995年に、阪神・淡路大震災が起きた。発災数日後、衆院災害対策特別委員会のメンバーとして現地視察に加わることができた。実際の被害の大きさ、すさまじさ、建物が倒壊し、ひしゃげてつぶれ、焼けこげているその生々しさは受け止めきれないほど。想像力の解像度が2桁ほど上がった感じでした」

 「それが大きな経験だったので官房長官になってすぐ、自分から頼んで危機管理センターを見て、レクをしてもらったんです。でも、そこで終わっていた。最大の反省は、就任してから2カ月間あったのに、災害への準備ができていなかったこと。あらゆる状況をシミュレーションして対応策を考えておくべきでした」

【動画】東日本大震災について語る枝野幸男立憲民主党代表=内田光撮影

スポークスパーソンとして決めた2つのこと

 防災服姿で不眠不休、赤い目で連日記者会見に臨む枝野氏に、SNSには「枝野 寝ろ」と枝野氏へのメッセージがあふれた。

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