吉野近代化 礎築いた実業家に光 報告会

福田純也
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 近鉄吉野線となった吉野軽便鉄道や南都銀行のルーツの一つの吉野材木銀行を創業した奈良県吉野町の実業家、阪本仙次(さかもと・せんじ、1869~1934)。明治~昭和初期の功績を後世に伝えようと、町民らの顕彰会が第1回報告会を開く。絶家になった阪本家旧本邸(同町佐々羅)を登録有形文化財にする目標を掲げている。

 顕彰会などによると、「阪仙(さかせん)」の屋号を持つ林業家の阪本家で、仙次は29歳になった1898(明治31)年、吉野材木銀の頭取になり、実業家人生が始まる。合併後の吉野銀頭取も務め、県内3行とともに1934(昭和9)年に誕生する南都銀の初代頭取に推されたが、設立目前に急逝した。

 鉄道や電気事業も手がけた。11(明治44)年設立の吉野軽便鉄道社長に就任。改称した吉野鉄道は近鉄吉野線に継承された。鉄道事業に付帯して広大な「美吉野運動場」を建設。スポーツ選手育成にも寄与した。いまは吉野川左岸の原木市場などになっている。吉野山に28年に設けた迎賓館「白雲荘」は県指定文化財で、自身も会長だった吉野山保勝会が交流の場に活用している。

 経営の才覚を発揮する一方、貴重な自然遺産を守る姿勢も強かった。妹山樹叢(いもやまじゅそう)(同町河原屋、国の天然記念物)が関東大震災の復興費用を得るため伐採されそうになった時、保存に動いた。サクラの巨木が鉄道工事の邪魔になっても伐採を認めなかったと、その人柄をうかがわせる回想を、「吉野熊野国立公園の父」岸田日出男(1890~1959)が書き残している。

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 吉野町龍門地区の旧伊勢街道に面した旧本邸は、公益財団法人阪本龍門文庫(理事長=久米健次・元奈良女子大学長)が所有。法人によると、敷地は3千平方メートル余り。1855(安政2)年棟上げの記録が残る母屋(約200平方メートル)や蔵など10棟が立つ。

 財団は1959年、本邸とともに、仙次の長男の猷(ゆう)(1891~1942)が収集した重要文化財4点を含む古典籍約1千点が寄贈されて設立された。同町上市の別邸跡で研究者らに役立てられている。旧本邸は「青少年図書室」として開放されていたが、2015年に閉鎖された。

 建物が活用されず、傷みが進むのを見かねたのは顕彰会「チーム・サカセン」の代表藤門(ふじかど)智也さん(46)。昨年6月、郷土史に関心のある11人で顕彰会を設立した。

 藤門さんの曽祖父が仙次の林業会社の大番頭で、自身も祖父や父らと幼少期にこの本邸で暮らした。藤門さんは「吉野近代化の偉業を子どもたちにも伝え、旧本邸を活用しながら継承できれば。報告会はその第一歩」と話す。

 報告会「吉野に近代をもたらした男 阪本仙次を語る」は3月20日午後2時から町中央公民館で開かれる。仙次の功績を大淀町教委学芸員の松田度さんが講演。1級建築士の沢木久美子さんは旧本邸内部をスライドを使い解説。仙次の事業を引き継いだ猷と、配偶者で最後の当主として阪本龍門文庫を設立した千代が仙次を回想する朗読劇を上演する。定員50人を大きく上回る応募があり、すでに受け付けを締め切った。

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 今、明治期の実業家人生が話題を集めている。「日本経済の父」渋沢栄一(1840~1931)の大河ドラマ「青天を衝(つ)け」が放送され、初代大阪商工会議所会頭の五代友厚(1836~1885)の映画「天外者(てんがらもん)」が公開された。

 地元の歴史・文化を情報発信する「吉野スタイル」を主宰し、顕彰会事務局(090・6235・6605)を担う磯崎典央さん(65)は「サカセンは『吉野の渋沢、五代』。功績の恩恵を地元は受けており、歴史を知りたいという手応えを感じています」と話す。報告会は23年までにあと2回予定。資料発掘に協力を呼びかけている。(福田純也)