日常がなくなる怖さ だから懸命に 佐々木朗希の10年

坂名信行
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 岩手県陸前高田市で被災したプロ野球ロッテの佐々木朗希(19)はあの日、父親と祖父母を失った。大船渡高時代に163キロの直球でわかせた右腕はこの10年、野球に夢中になることでつらいときも頑張れたという。家族や故郷への思い、自らの覚悟を、一つ一つ言葉を選んで静かに語った。

【震災特集】生きる、未来へ

3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

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東日本大震災による津波は、陸地だけでなく海の中にも大きな被害をもたらした。大量のがれき、失われた漁場……。豊かな海はこの10年でどう変わったのか。水深35メートルまで潜ってみた。

 「10年という節目ですけど、僕にとっては毎年忘れることはなかったので。特に10年だから、何か変わるわけじゃないんですけど、3月11日は毎年、特別な日だと思っています」

 当時は小学3年生。地震発生時は小学校にいて近くの高台へ避難した。だが、津波で自宅は流され、父の功太さん(当時37)、祖父母を失った。その後、老人ホームでの避難所生活を送り、母の陽子さんの親族が住む隣町の大船渡市に引っ越した。

 「僕自身、ネガティブなので悲しい時はあったと思います」。しかし、この10年、小学3年生で始めた野球が気持ちを紛らわせてくれた。「野球をしているときが一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで大変だったとき、つらいときも頑張れた。野球をしていて良かったなと思う」

 2013年、田中将大が24勝無敗の快記録を残し、楽天が球団初の日本一をつかんだ。小学6年生だった佐々木の目にも、その雄姿が焼き付いている。「田中選手にあこがれていたので、すごく勇気をもらえましたし、すごく感動した記憶があります」

 実はこの年、佐々木は千葉市にあるロッテの本拠でプレーしている。被災地域の少年野球チームによる「リアスリーグ」の決勝戦に、佐々木が所属する大船渡市の猪川野球クラブが勝ち進んだ。遊撃手で優勝に貢献し、地元チームとの親善試合ではマウンドにも上がった。

 19年4月には高校日本代表候補の合宿で高校生最速となる163キロをマーク。その後、プロでやっていくことを決意した。

 父親や祖父母が生きていたら、どんな言葉をかけてくれたのだろうか。「僕の選択を否定することはないと思う。自分の決めた道を信じて頑張りたいなと。それだけです」。プロになって給料をもらって、改めて父親を思う。「すごい大変なので。すごく尊敬しています」

 昨年末も故郷へ帰った。町並みの変わりようを少なからず感じている。

 「どうなんですかね。震災後に比べたら、すごく前に進んでいると思う。そんなにすぐに大きく変わらないと思うので、少しでも変わっていく姿はすごい大変だったと思う。僕はすごいなとしか思えない」

 震災の怖さを伝えていく役目を意識する。

 「まずは風化させないことと、何より諦めないで一生懸命頑張るということを言葉だけじゃなくて、プレーとかでも見せることができたらなと思います」。そして、続けた。「(震災を知らない子どもたちには)やっぱり経験していないので伝えることはすごく難しいと思うんですけど、そこを頑張って、丁寧に。理解するのは難しいと思うんですけど、そこを根気強く。知っている大人が向かい合って伝えていくしかない」

 今年2月13日、最大震度6強の揺れが東北を襲った。「本当にいつ当たり前の日常がなくなるか分からない。それがすごい怖いなと思ったので。毎日に感謝しながら一生懸命生きていきたいなと思います」

 12日にはプロ入り後初めて、オープン戦のマウンドに上がる。昨季は体づくりに専念し、1軍でも2軍でも公式戦登板はなかった。今季はチームの戦力として期待されている。

 「10年前の僕はたくさん人から支えられ、勇気や希望をもらいながら、頑張ることしかできなかったんですけど、今はその時と違って、勇気や希望を与える立場にあると思う。活躍してそういうことができたらなと思います」(坂名信行)