いわき出身・武田玲奈さんが見た被災地と10年目の決意

福島総局・飯島啓史
【動画】武田玲奈さんと歩く被災地=藤原伸雄、長島一浩撮影
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 東日本大震災から11日で10年になる。福島県いわき市の出身者として、福島の魅力を伝える活動を始めている俳優の武田玲奈さん(23)に当時の体験を聞き、沿岸部の施設をともに訪ねた。

特集企画「生きる、未来へ」

3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

 いわき市の海の玄関口、小名浜(おなはま)港。冷たい海風が澄んだ空気を運んでくる。雲の切れ目から光が差し込み、水面が穏やかに輝いていた。武田さんは幼い頃に家族とこの海を見に通った。「やっぱり静かというか、緩やかですよね。昔から変わらないな、と思います」

 周囲の街並みはこの10年で驚くほど変わった。市内は8メートルを超える津波に襲われ、468人(関連死を含む)が亡くなり、港の周りも広く浸水した。「きれいになっていますね。そんなことがあったのか、と思うぐらい」と話す視線の先には、浸水した地区に新たにオープンし、地震や津波の際は避難先にもなる4階建ての巨大なショッピングモールがあった。

 10年前のあの日、13歳だった。海から約10キロ離れた自宅でギターを弾いていると、携帯電話のけたたましい電子音に驚いた。最初は緊急地震速報と分からず、「こんな着メロにした人いたっけ?」と思った。

 しばらくすると揺れが始まり、机の下に隠れたが収まらない。激しくなるばかりで、「止まれー!」と思いながら、部屋の中の鏡やテレビを必死に押さえた。

 家族や自宅は無事だった。東北の沿岸部を襲う大津波の映像がテレビに映し出されると、現実としてすぐに受け止めることが出来なかった。水道やガスなどライフラインが止まった。その混乱に拍車を掛けたのが、北に40キロ以上離れた東京電力福島第一原発での水素爆発だった。

 普段の生活で、原発が近くにあることは意識していなかった。放射能と言われても、理解できない。ただ、大人たちから「肌を隠せ」と言われ、「大変なことが起きている」と感じた。

 数日後、マスクを着け、帽子を深くかぶり、両親と一緒に150キロ以上離れたさいたま市の祖父母の家に車で自主避難した。約1カ月間、家の中にこもりがちの生活を送った。

特集企画「海からみた被災地」

東日本大震災による津波は、陸地だけでなく海の中にも大きな被害をもたらした。大量のがれき、失われ た漁場……。あれから間もなく10年。豊かな海はどう変わったのか。震災3カ月後から継続的に被災地の海 を潜水取材してきた朝日新聞フォトグラファーたちが報告する。

「福島のお仕事を一生懸命に」

 当時、原発事故の収束の最前線だったのが、原発から約20キロ南にあるスポーツ拠点「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)だった。

 小名浜港から北へ車で1時間ほど。高台のテラスから見渡すと、天然・人工芝のサッカーコート9面が広がっていた。「すごく広くて……それにきれいなサッカーコートですね」。武田さんはコートに立つと、天然芝の感触を手で確かめた。

 事故から数年間、この緑のコートには砂利が敷かれ、作業用の車が並んだ。作業員はここで防護服に着替え、線量計を持って原発構内へバスに乗って向かった。いまはその役割を終え、芝も新たに張り替えられて、2年前の春に全面再開した。

 Jヴィレッジの広報担当者がパネルを使って説明すると、武田さんは「たくさんの人の努力で、今のこのサッカーコートがあるんですね」と驚いたように話した。

 震災からまもなく10年。東京で仕事をしていると、震災が話題に上ることはほとんど無い。この日、巡った街並みから前に進む復興が感じ取れた。しかし、テレビのロケで地元を歩くと、農産物の風評被害の深刻さを知り、残念に思った。だから、震災の経験を「忘れてはいけない」と思う。

 俳優になった自分はそのために何が出来るのだろうか。一昨年、都知事らが参加する東京での震災関連のフォーラムに参加し、祭りなど地元の魅力を語った。昨年10月には農産物の魅力を伝える地元のPR隊の隊長にもなった。

 「与えられた福島のお仕事を一生懸命やる」

 多くの人がいまの福島の姿を知るきっかけを作っていきたいと思っている。(福島総局・飯島啓史)

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〈たけだ・れな〉 1997年生まれ、福島県いわき市出身。高校生で「Popteen」などのファッション誌モデルになり、映画「暗殺教室」(2015年)で俳優デビュー。テレビ東京のドラマ「おじさまと猫」や「声優探偵」に出演中。昨年10月には出身地のいわき市の農産物をPRする「いわきのめぐみ伝え隊!」隊長に就任した。