引き取り手ない被災者の遺骨、寺に10年 身元判明も…

山浦正敬

拡大する写真・図版本堂の棚の奥側に置いた長机に並べた震災遺骨(奥)を説明する加藤秀幸住職。引き取る親族はまだ現れない=2021年2月26日、宮城県多賀城市の宝国寺、山浦正敬撮影(画像を一部加工しています)

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 五つの骨箱が、寺の本堂の隅で家族を待つ。命日はどれも「平成二十三年三月十一日」。位牌(いはい)は戒名ではなく、本名のまま書かれている。誰が迎えに来ても分かるようにと。

 宮城県多賀城市。宝国寺の加藤秀幸住職(67)は毎朝のおつとめで、本尊のそばに並べたこの骨箱の5人も一緒に供養している。そんな日課を10年近く続けてきた。

 5人とも東日本大震災の犠牲者だ。市から保管を頼まれた。発見され、すぐに身元が判明して遺族に連絡がついたのだが、いまだ引き取られていない。

特集企画「会いたい、会わせたい」

東日本大震災から10年。行方不明者はなお2500人を超え、今も家族を捜す人たちがいる。遺体の身元捜査を続ける警察、身元が分かっているのに引き取り手がない遺骨……。「会いたい」「会わせたい」。人々の思いが交錯する。

特集企画「生きる、未来へ」

3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

 預かっている震災遺骨はほかにもある。ある高齢男性の遺骨は、一人娘の遺族から戒名料とともに「私は嫁いだので、父の入る墓がない。預かって」と頼まれたままだ。仙台市の女性の遺骨は、震災翌月に突然訪ねてきた人から保管を頼まれ、その後連絡がない。

拡大する写真・図版東日本大震災の直後から迎えを待つ震災遺骨を預かる宝国寺=2021年2月26日、宮城県多賀城市、山浦正敬撮影

 多賀城市から保管を頼まれた遺骨の5人は50~70代の男女で、うち2人は県内の親子だった。残りは関東や九州など県外出身者で、「どんな理由で遠く東北まで来たのか。働きにきたのか」。それぞれの生前の生き様に住職は思いをはせる。

 「引き取らない事情は複雑なのです」と遺族側にも理解を示す。「今回初めて、親の存在を知ったので」「迷惑をかけて家を出た父なので今さら」などといった理由があるのだという。

 津波が、ふたをしていた人間模様を白日にさらした。時がたてば心境も変わるかも、と期待しながら住職は引き取られる日を待ち続ける。

拡大する写真・図版本堂の棚の奥側に置いた長机の上に並べた震災の遺骨(上段奥)を示す加藤秀幸住職。身元が判明しながら引き取り手が現れない=2021年2月26日、宮城県多賀城市の宝国寺、山浦正敬撮影(画像を一部加工しています)

 七回忌の法要を終えたら、5人を寺の共同墓地に埋葬しようと考えたこともあった。だが、亡き人とはいえ、5人の「心情」を考えたら、親族に見守られないままでは「さすがに難しいな」。先延ばしてからもう4回目の命日が近づく。

 世相かな、と思うこともある。本堂の隅にある位牌(いはい)堂は、檀家(だんか)から預かる位牌や、墓の建立を待つ骨箱で「満室」だ。

 「転勤先に仏壇がないので位牌は持って行けない」「転勤から戻ってきたら墓を建てる」などと保管を頼まれる。その延長に震災の遺骨もあるような気がするという。

 あの日、目の前まで津波が来た境内に、近くの住民らが車などで避難してきた。檀家(だんか)にも犠牲が出たため、毎年3月11日には震災法要を営む。今年も骨箱の5人のためにも、お経をあげるつもりだ。

 「もう少し、もう少し、と遺骨の引き取りを待つうちにもう10年。でも、もう少し待ちます」

 朝日新聞の取材では、身元がわかっているが、遺族に引き取られていない震災遺骨が1月末現在、東北3県に少なくとも10体。ただ、宝国寺の5体をのぞけば、ほぼ公営の共同納骨施設などに身元不明の遺骨と一緒に納められた。

拡大する写真・図版引き取り手のいない遺骨を預かった仙寿院の本堂。高台避難の教訓を伝える「新春韋駄天競走」のゴール地点になっている=2021年2月7日、岩手県釜石市、東野真和撮影

 身元不明の遺骨を長く預かった寺がある。岩手県釜石市街の高台にある仙寿院(せんじゅいん)。本堂に続く急坂を2月7日、市民42人が駆け上った。兵庫県・西宮神社の「福男選び」を参考に、14年から続ける「新春韋駄天(いだてん)競走」だ。津波の高台避難の大切さをイベントで後世に伝えようと始まった。本家がコロナ禍で中止した今年も、「津波はコロナ禍でも起きる」と参加を市民に限って催した。

 率いるのは、ゴールにある仙寿院の芝崎恵応(えのう)住職(64)だ。10年前の津波の際、坂を上って避難してきた人たちを本堂に迎え入れた。眼下の市街は津波にのまれ、市内の犠牲者は約1千人にのぼった。

 当時は釜石仏教会の会長で、火葬を終えた遺骨を預かった。家を失った被災遺族には遺骨を置く余裕がなく、身元不明の遺骨は引き取り手がない状況。一時は本堂に約150の骨箱が並んだ。遺骨は少しずつ落ち着いた遺族に引き取られていったが、身元不明の遺骨を中心に残された。

 命日となる3月11日やお盆に毎年、寺に残る遺骨の法要が営まれた。誰の遺骨か分からないため参列は市職員だけ。住職は法話でいつも語りかけた。「ふびん。早く家族の元に帰してあげたい」

拡大する写真・図版身元不明遺骨のお盆の供養。遺族が不明なため市職員が参列し、芝崎恵応住職がお経をあげた=2016年8月9日、岩手県釜石市の仙寿院、山浦正敬撮影

 震災から4年半近い15年のお盆の法要だった。本堂に並んだ身元不明遺骨の数が、5カ月前の「3・11」の11から10に減った。この間に警察の捜査で一つの身元が判明していた。

 「遺骨の名前がわかるなんて、こんないいことはない。親族にも連絡がついているようだ」。本尊脇に骨箱を並べた重苦しい雰囲気の中、住職は珍しく笑顔で語った。

 しかし、その63歳だった女性の遺骨は身元がわかってからも、しばらくの間は仙寿院に残っていた。

拡大する写真・図版一体の遺骨が姉と判明してから最初の身元不明遺骨の法要。芝崎恵応住職(左)は姉の身元判明にあんどした=2015年8月11日、岩手県釜石市の仙寿院、山浦正敬撮影

 女性は震災2日後、市役所近くで遺体で見つかった。身元を示すものがない。県警は似顔絵や体の特徴、服装をインターネットなどで公開したが、進展はなかった。

 転機は、市役所で国民健康保険を担当する職員のひらめきだった。

 保険料にあたる税金が震災を境に未納になっている高齢女性がいる。どこか遠くに避難しているかもしれないが、病院にかかった記録も一切無い。死亡の記録もなく、捜索願も出ていないが、「人知れず犠牲になっているのかも」と県警に連絡した。

 県警が捜査すると、同姓の60歳の男性が近くで犠牲になっていた。所持品から身元は判明していた。その住所は市外だが、親族かもしれない。DNA型鑑定で姉弟と判明した。

 姉の自宅は市役所そばにあった。独り身で室内で静かに暮らしていたのか、外出する姿はほとんど目撃されていない。近所つきあいも少なかった。市外に出た弟がなぜ、姉宅のそばで被災したかは分からない。

拡大する写真・図版姉の自宅があった辺り。先の道沿いの商店街が津波で全壊・撤去された後、奥の山のふもとにある市役所まで見通せた=2017年2月14日、岩手県釜石市、山浦正敬撮影(画像を一部加工しています)

 弟の遺骨も引き取る親族がいないとして、仙寿院に預けられていた。住職が気付かないうち、姉と弟は本堂の同じ棚に並んで、親族の迎えを待っていた。

 姉弟の遺骨が仙寿院を離れたのは17年4月で、姉の遺骨の身元が判明してから2年近くたっていた。「市が遺族に何度もお願いしたらしい。よかった」と住職はあんどしたという。「身元不明だった遺骨の名前が判明し、時間がかかったけど引き取られた。幸運が重なることがあるんだ」

拡大する写真・図版身元がわかってからも長く迎えを待ち続けた姉弟の遺骨。震災直後からそばで保管されていたことが後で分かった=2017年2月14日、岩手県釜石市の仙寿院、山浦正敬撮影

 ただ、行き先は親族の元ではなかったという。誰が引き取ったかは取材では確かめられなかった。ただ、姉弟が一緒にどこかの墓地に納骨されたのは間違いないという。

 翌18年夏。市が墓地公園に建立した納骨堂に、仙寿院に残る10人の身元不明遺骨も移した。法要は続ける。そこで身元が判明し、遺族に会える日を待つ。

拡大する写真・図版「3・11」に流す灯籠の和紙に犠牲者たちの氏名を書く芝崎恵応さん=2017年2月23日、岩手県釜石市の仙寿院、鬼室黎撮影(画像の一部を加工しています)

 震災から10年が近づく2月下旬、関東地方からある男性の遺骨が仙寿院に届いた。先祖代々の墓に納めて欲しいと事前に電話があった。70代の男性が急死したが、親族が引き取らないので、同じアパートの住民が火葬してから送ってきたという。遺族に代わって納骨を済ませた住職はつぶやいた。

 「親族に引き取ってもらえない遺骨があるのは震災だからかと思っていた。人としてわびし過ぎます」(山浦正敬)