宮城で修業中に被災 神奈川・松田町の蔵元11代目

豊平森
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 8日朝、神奈川県松田町の蔵元「中沢酒造」で、11代目の鍵和田(かぎわだ)亮(あきら)さん(34)が2千リットルタンクに仕込んであった真っ白いもろみを搾る作業を始めた。地元の河津桜の酵母を使った特別純米酒「亮(りょう)」だ。造り始めて10年。透き通って出てきた酒を一口含むと、「納得のいくお酒ができた。甘さと酸味のバランスがうまくとれた」とうなずいた。

 鍵和田さんの酒造りの原点は宮城県にある。醸造微生物学を学んだ東京農大を2009年に卒業し、宮城県大崎市にある蔵元「一ノ蔵」へ修業に出た。実家の中沢酒造は家族経営の小さな蔵元。まず営業力をつけたいと営業部門を希望したが、「うちの酒を知らないと営業はできない。どう造られ、どんな味がするのか。まずは勉強しなさい」と製造部門に配属された。

 約40人の杜氏(とうじ)や蔵人と働き始めると、面白さにのめり込んだ。

 作業量は中沢酒造の数倍はあった。米を蒸すのも、蒸した米を釜からスコップで掘り出すのも、すべて手作業。タンクに仕込むと、3メートル以上もある棒でかき回す。どれも力仕事だが、赤ちゃんを扱うような繊細さが求められる。

 「機械を使えば大量に造れる。でも、手で造らないとお酒に思いは伝わらない」。杜氏に何度も言われた言葉だ。蔵人たちは「うちの蔵が一番。どこにも負けない酒を造っている」という気概で満ち、酒を酌み交わしながら、いろんな話をしてくれた。

 10年夏、販売部門に。「酒は売らなくていい。自分を売り込め」という先輩の言葉に驚いた。酒店や飲食店を一緒に回るうち、「自分たちが造った酒を自分たちで売り、お客さんの声をじかに聞いて次の酒造りに生かす」。そんな思いを強くした。

 4日後に修業を終えるはずだった11年3月11日。仙台市中心部を車で配達中、すさまじい揺れに襲われた。「ハンドルを握っていないと、体ごと持っていかれそうだった」。建物からガラスが落ち、道に人があふれた。信号は消え、サイレンが鳴り響いた。

 実家と会社に無事を連絡すると、携帯電話はつながらなくなった。停電が続く自宅アパートは部屋の壁がはがれ、食器が割れていた。余震が続いた。1人で過ごす夜が怖くて、先輩の家に泊めてもらった。翌朝、いつもより薄い新聞で津波や福島第一原発の事故を初めて知った。

 松田町に戻って8月に中沢酒造に入社すると、河津桜の酵母を使いたいと社長である父の茂さん(62)に提案。学生時代、研究の一環で地元の松田山にある西平畑公園に咲いていた花から採っておいた酵母だ。

 「良い酒が造れるのか」と半信半疑の父に、「絶対に良い酒を造って売ってやる」と発奮。12年2月、その酵母を使った特別純米酒「亮」を新発売した。

 最初は売れたが、2年目はうまくいかなかった。「辛口が桜のイメージに合わなかった」。翌年、甘口にすると1週間で売り切れた。毎年、テーマを変えて造り続け、今年2月、10年記念で初の純米吟醸酒の「亮」を発売。すぐに完売した。茂さんは「飲んでもらう方の顔が思い浮かぶお酒ができてきた」と話す。

 一ノ蔵と同様、原材料は地元産にこだわり、自分を売り込む飛びこみ営業で販路を横浜、川崎、東京へと広げてきた。自信のある酒ができると一ノ蔵の杜氏に送る。「糀(こうじ)づくりから、もろみの温度まで、どんな造り方をしたのかが大体ばれる。でも、何も秘密にせずにアドバイスをもらえる」

 コロナ禍の前は毎年4、5月ごろに一ノ蔵を訪ね、「師匠」の杜氏の誘いで夏に岩手県である南部杜氏の講習会にも参加してきた。「行くたびにまちは変わり、人々は元気そうに見える。でも話しをすると内心は違う。まだ、完全に復興したとは思えない」

 自作の酒に自分の名と同じ「亮」の字を使ったのは「酒との二人三脚で成長したい」からだ。「お世話になった人たちに、その姿を見てほしい」。特別純米酒「亮」を4月、720ミリリットル入り1本1650円(税込み)で発売する。宮城の師匠にも送るつもりだ。(豊平森)