大手にまねできない地域性を 被災工場が乗り越えた壁

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田中美保
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 被災から10年。宮城県石巻市で水産加工を営む経営者たちはこの間、さまざまな壁に突き当たった。生産がとまって販路を失い、復旧させた設備が余って頭を抱えた。曲折を経て、それでも前に進む。

 石巻には国内有数の漁港がある。ちくわなどの練り製品を戦前から手がけてきた水野水産では、港近くの工場が津波で被災した。当時の従業員は50人ほど。震災前と同じ生産能力に戻すのに2年かかった。専務の水野武仁さん(51)は、ある大手スーパーに取引量を元に戻してほしいと求めたが、現実は厳しかった。

 「被災した東北にかわって投資してくれた会社との取引は、切れない」。

 水野さんは、震災前と同じように売上高にこだわった。まとまった量を求める大手スーパーとの取引を維持しようとした。働き手が減って作れない分は、北海道や名古屋といったほかの地域の同業者に頼み、さつま揚げやちくわなどをつくってもらった。その分の輸送費も負担した。

 転機は、震災から4年半後だった。再建した同業者のあいだで「廃業する」との声が出始めていた。商工会議所から、当時、石巻専修大の准教授だった石原慎士さん(50)を紹介してもらった。現在は宮城学院女子大で教授をつとめる経営学の専門家だ。経営方針を改めるよう助言を受けた。

 「資源が限られる小が大をのむには、大手にまねできないこと、地域性を生かすこと。その手しかない」

「地域性を生かす。その手しかない」

 悩み抜いた水野さんは、販売価格での勝負から大手との差別化戦略に切り替えた。売り上げを追うのではなく、利益の確保を狙う。祖父の時代の伝統的なレシピと製法の再現に挑んだ。

 練り製品の原料となるスケトウダラのすり身は、安い輸入ものから国産に変更。焼き加減の難しい、厚みのあるちくわを売り出した。

 原料のすり身は、いまの衛生基準では「さらし」と呼ばれる水洗いが必要だ。この工程で流れ出るうまみ分を補うため、サメのすり身を加えた。ちくわの原料として、かつて一般的だった魚だ。

 価格は震災前の商品の2倍近い。それでも「昔ながらのちくわの味がする」と評判になった。

 地元企業との連携にも取り組む。その一つは、地元6社で昨秋売り出したレトルトパックの「石巻おでん」だ。コロナ禍を背景にした巣ごもり需要を追い風に、1万個を約3カ月で売った。6社それぞれが自社の販路で売れるようにして営業力を補い合ったことも奏功した。

 「地元で、石巻おでんを知らない人はいない、というレベルに伸ばしたい」。水野さんは、そう意気込む。会社全体の売り上げは震災前の半分にとどまるが、利益は増えつつある。

 震災前から、石巻の水産加工業界は厳しい状況にあった。地元の水揚げ量は減りつつあり、デフレを背景に商品の卸値はなかなか上がらない。

 水野水産は、震災前に五つあった生産ラインをすべて復旧させた。過剰になった設備をいかに使うかに知恵を絞る。震災前の半分に減った従業員には、どの商品でも作れる技術を身につけてもらった。注文に応じ、毎日、違うラインを動かして対応している。

 「震災前の設備は、作れば売れた時代のもの。周りの環境が変わり過ぎた」と水野さんは話す。

 工場の再建に使った「グループ化補助金」は、東日本大震災を受けて新設された仕組みだ。被災企業が震災前の設備をもとに戻すのに使う費用の4分の3を補助してくれるが、新しい事業は対象外。水野さんのような被災経営者が、それまでの経営を見直すきっかけにはなりづらかった。

 「グループ化補助金は、復興になくてはならない制度だった。ただ、その運用では、現場の知恵が出せるような『ハンドルの遊び』が必要だった」。被災企業の二重ローン対策を担う「東日本大震災事業者再生支援機構」の元専務、荒波辰也さん(69)は、そう指摘する。

 画一的なやり方ではかえって企業の再建の足かせになると、国も後になって気づいた。2015年には新分野への投資も条件付きで認められ、16年の熊本地震でも引き継がれた。

 石巻には、この補助金の前提にとらわれなかった経営者もいた。

 「石巻おでん」に共同で取り…

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