「10年後、石巻に」忘れられぬ言葉、避難所のあの人は

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西岡矩毅
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 「10年後、元気になった石巻に遊びに来てよ」

 和歌山市柔道整復師、岩崎漁次さん(33)にとって、10年前に聞いたそのひと言が今も耳に焼き付いている。

 2011年9月、当時専門学校生だった岩崎さんは、同級生の前畑将平さん(33)とともに津波で甚大な被害を受けた東日本大震災の被災地、宮城県石巻市を訪れ、避難所でマッサージのボランティアをした。被災者の女性が、全国から来るボランティアをもてなすことができないのを残念がるように言った。

 「石巻は、本当はもっと良いところ。カキがおいしくてね。そういう石巻を見てほしい」

 震災から10年を迎え、その言葉が再びよみがえった。「そのおばあちゃんに会いたいですね」。岩崎さんはそうつぶやいた。

 今年2月、記者(25)は和歌山県内在住で東日本大震災を身近に感じた人から話を聞こうと、岩崎さんを取材した。別の震災関連の取材で、数日後に宮城県への出張を控えていたことから、その女性を捜すことを請け負った。手がかりは、岩崎さんが女性の肩をもんでいる様子を収めた1枚の写真。名前も、年齢も、居場所も分からない。

 手がかりはもう一つ、岩崎さんが訪れた石巻市立渡波(わたのは)小学校で、避難所を運営していた高橋誠さん(55)の存在だった。紹介してもらい、石巻へ向かう前日に高橋さんと電話で連絡が取ったが、「写真を見ても、分からないかもよ」と告げられた。

 2月8日、飛行機と列車を乗り継ぎ、石巻駅に着くと高橋さんが出迎えてくれた。いまは介護職員として働き、仕事前の3時間ほど市内を案内してくれた。

 渡波小学校に向かう道中、バス停を指さした。「ここで私は車ごと流されました」。発生時、津波で約2キロも流されたが、衝撃で割れた窓ガラスから脱出し、一命を取り留めた。翌日から渡波小学校に入り、避難所運営を買って出たという。

 渡波小学校に着き、高橋さんや学校にいた教諭に写真を見せた。「高野さんのお母さんかな」と高橋さん。一緒に高野さんの家へと向かった。

     ◇…

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