自然農法、恵み奪った原発 津の高原で再び幸せ見つけた

大滝哲彰
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 【三重】「原発は大丈夫か」

 2011年3月11日、激しい揺れが収まると、すぐに嫌な予感がした。車に荷物を積んで西に向かって逃げた。東京電力福島第一原発1号機の原子炉建屋で、水素爆発が起こる12時間前だった。

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 現在は津市美杉町太郎生に住む村上真平さん(62)はかつて、福島第一原発から北西に約40キロ離れた福島県飯舘村前田で暮らした。そこに移住したのは、震災の10年前のことだ。

 山々に囲まれ、湧き水に恵まれたこの地で、6ヘクタールの農地を持ち、野菜、米、麦などを栽培していた。「自然を収奪せず人を搾取しない」をモットーに、自然農法にこだわった。

 自然に恵まれ、申し分のない生活だった。しかし、常に頭の片隅から離れない2文字があった。

 「原発」

 そして、あの日がやってくる。

 妻と3人の娘は福島市に出かけていた。自身は、山小屋の屋根に上り、作業をしていたときだった。

 「ゴオー」

 地響きが聞こえた。

 「ダンプカーでも突っ込んできたか」。そう思った途端、激しい揺れに見舞われた。必死に屋根につかまった。大きな揺れは3回。屋根の上から動けず、その場で5分ほど耐えた。

 家に戻ると、家具が散乱していた。ラジオで流れる福島第一原発に関する情報に注意しながら、家族の帰りを待った。原発のことを考えると、眠れなかった。

 夜中、娘たちと妻が一緒に車で帰ってきた。

 「逃げよう」。妻は声を荒らげた。

 福島第一原発は全電源が喪失し、危機が迫りつつあった。「この10年でつくり上げた場所に住めなくなるのか」。覚悟を決め、雪が降る暗闇の中を、とにかく西へ逃げた。

 「もう飯舘村には帰れないね」。妻とはそんな話をした記憶が残る。

 3月16日、三重県伊賀市にある母校の愛農学園農業高校を頼り、福島の友人ら20人とともに、学校の同窓会館に避難した。そこで、1カ月ほど過ごした。

 「原発をやめるなら今しかない」。震災後、国内外で約1年かけて、反原発の立場で100回近く講演した。だが、そんな訴えは届かず、政府と電力会社は原発の再稼働を進めていく。

 「これだけ大きな事故を経験し、まだ再稼働なんて言えるのか」。怒りを通り越してあきれた。

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 津市美杉町太郎生の高原で13年4月、農業を再開した。標高640メートルから望むダイナミックな景色、ひんやりとした風、夜の星空――。どこか飯舘村の面影を感じながら、再び自然とともに生きることができる幸せを感じている。

 「なんとなくほっとけなくて」。震災後、飯舘村には何度も足を運んだ。

 当時住んでいた家や家具はそのまま残されている。だが、そこで暮らすことは二度とないだろう。

 「ちゃんとお別れをしないといけないですね」。震災から10年の節目を機に、家族を連れて飯舘村への最後の訪問を考えている。(大滝哲彰)