「津波なんか来ない」 13年前、防潮堤を撮った自分も

岐阜東部支局長・戸村登
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 【岐阜】どうしても見てもらいたい写真がある。朝日新聞仙台総局(仙台市)駐在の写真記者だった当時、撮影した1枚だ。

【震災特集】会いたい、会わせたい

東日本大震災から10年。行方不明者はなお2500人を超え、今も家族を捜す人たちがいる。遺体の身元捜査を続ける警察、身元が分かっているのに引き取り手がない遺骨……。「会いたい」「会わせたい」。人々の思いが交錯する

【震災特集】生きる、未来へ

3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

 2008年7月19日だった。福島県沖を震源とする地震で宮城県沿岸にも津波注意報が発令された。仙台市若林区の深沼海水浴場に様子を見に行くと、近くの防潮堤に避難する人たちがいた。

 3年後の2011年に起きた東日本大震災の被害を知ってしまった後では、ありえない状況だと思う。本当に津波がやって来たら、撮影していた自分も生きてはいなかっただろう。

 ただ、防潮堤の上でのんびりとした様子で海を見つめていた人たちの気持ちはよくわかる。宮城県に津波なんて来るわけがない――。自分もそう思っていた。だから、注意報が解除されるまで防潮堤の上で取材を続けていたのだろう。

 東日本大震災の発生時は、東京本社の写真センター(現映像報道部)で勤務していた。宮城県に津波が押し寄せる様子を映し出すテレビに釘付けになった。

 その夜、本社機で被災地上空に向かった。燃えさかる同県気仙沼市の市街地を撮影した。ファインダーをいくらのぞいても暗闇に赤い炎しか見えなかった。ともに仕事をした気仙沼支局長は無事だろうか……。シャッターを押しながら、かつて取材した場所や出会った人々の顔が浮かんだ。

 大震災の翌日、仙台市近くの名取市に入った。津波に襲われた住宅地は大きな被害を受けていた。自宅周辺が冠水し、逃げられずに救助を待つ人もいた。靴を泥まみれにしながらシャッターを切った。取材中、余震が起きるたびに海と反対側に走って逃げた。

 約1週間、仙台総局を拠点に震災取材を続けた。そこで見たこと、聞いたこと、感じたことは一生忘れないだろう。駐在時の2年半の数々の記憶が、その1週間で完全に上書きされてしまった。

 11年5月から大阪本社で内勤となり、震災取材からは遠のいた。宮城県仙台市はどうなったのか。被災地の状況を伝える同僚の記事や写真が気になった。

 翌年2月、思い立って仙台市などをレンタカーで巡った。出張の際に泊まった気仙沼市の旅館も、家族で訪れた石巻市のすし屋も津波で流されていた。ありふれた日常の大切さや、いとおしさを強く感じた。

 あの日、押し寄せた津波に、仙台市の人たちはどんなに驚いたことだろう。深沼海水浴場がある若林区も大きな被害を受けた。

 かつてお世話になったあの街が……。3月11日を迎えるたびに、海水浴場で撮影した1枚の写真を思い出す。(岐阜東部支局長・戸村登)