お寺に届けた1台のピアノ 被災地に響いた希望の音色

田島知樹
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 東北の太平洋沿い、宮城県山元町にあるお寺の本堂に、黒いアップライトピアノがある。東日本大震災の翌年、380キロ離れた富山から運ばれ、「希望のピアノ」と呼ばれている。

 2012年3月5日、富山県南砺市

 坂野晴美さん(54)は世界遺産・五箇山の合掌造り集落を訪れていた。宮城県山元町の曹洞宗普門寺の住職の妻。福井県永平寺で修行を終えた長男を車で迎えに行き、帰りに立ち寄った。

 車から降りると、見知らぬ男性に声をかけられた。知人を案内中だったその男性は、宮城ナンバーの車を見て、いてもたってもいられなかったという。「珍しい人だ」と思いつつ、被災した寺のことを話した。

 海岸線から700メートルの普門寺にも5~7メートルの津波が来て、屋根と柱だけの本堂が残ったこと。約250人の檀家(だんか)だけでなく地域住民の交流の場だったこと。

 15分ほどの立ち話だったが、男性から「何かできることがあれば」と、名刺を渡された。竹田楽器とあった。晴美さんは寺の連絡先を伝えた。

 晴美さんらが永平寺から戻ってすぐ、「竹田楽器の男性」からの電話が普門寺にかかってきた。住職の文俊(ぶんしゅん)さん(58)が状況を伝えた。

 がれきを撤去し、崩れた墓石を直すことから復興への歩みを始めたこと。寺はボランティアの拠点になったが、まだ座布団もないこと。

 男性は「すぐ届ける」といい、3週間もしないうちに座布団約100枚と白米150キロを運んで届けに来てくれた。

 寺で向き合い、話をした。男性は震災後すぐに被災地に来て、その後も宮城県石巻市でボランティアをしたという。地元の富山でも2回、追悼コンサートを開いていた。

 寺でイベントを開きたいと思っていた文俊さん。もしピアノの演奏会を開けば住民も喜ぶのではないか、そんな話をした。すると男性が申し出た。「ピアノを寄贈します」。うれしかったが、文俊さんは半信半疑でもあった。

考えた自分の「使命」

 約1年前の11年3月11日、富山県南砺市。

 竹田楽器代表で調律師の竹田時康さん(77)は自宅でニュースを見ていた。倒壊した家屋や津波にのまれる街が何度も映し出された。これまでも阪神・淡路大震災新潟県中越地震で現地に駆けつけた。すぐ行かなければいけないと思った。1週間近所を回り、物資を集めた。ガスボンベから野菜まで、2トントラックいっぱいに詰め込んだ。ガソリンと灯油も300リットルずつ。万が一を考え、1人で乗り込んだ。

 行き先は宮城県。調律師として修業し、妻と出会った地でもあった。

 6時間以上かけ、親戚のいる宮城県村田町に着いた。知人に電話し、一軒一軒回って食料やガソリンを分けた。

 その日の夜。真っ暗の道を走っていると、赤いちょうちんをぶらさげた居酒屋を見つけた。中に入ると、メニュー表の黒板にチョークでこう書いてあった。

 「生き残りし者の使命 皆でガンバッテ復興」

 店主の女性は淡々と料理を作っていた。灯油20リットルを渡した。

 次の日も家を回り続けた。沿岸に住む家族が津波に流されて行方不明になった女性がいた。かける言葉が見つからず、食料だけを置き、そっと離れた。

 翌日、トラックは空になった。帰路、ハンドルを握りながら考えた。

 自分の「使命」は何だろうか。

     ◇

 12年9月12日、宮城県山元町。

 夕暮れ時の普門寺に20人ほどが集まった。本堂にはその日、竹田さんが運んだピアノが置かれていた。

 黒いアップライトピアノの鍵盤に、仙台市から招いたピアニストが触れると、本堂は豊かな音色に包まれた。じっと聴いていた住民の目から涙があふれていた。文俊さんも泣いた。「震災で亡くなった人や家を流され他の地域に移った人。この土地とつながる全ての人に音楽が届いたと思ったんです」

 竹田さんも涙を流した。赤いちょうちんの居酒屋を思い出していた。「これが僕の使命なんだ」。もともと使われなくなったピアノを譲り受け、修理・調律し、贈る活動を続けてきた。生き返らせたピアノをアフリカまで届けたこともあったが、被災地に贈ったのは初めてだった。

 竹田さんはその後も山元町に通った。13年には町のイチゴ農園でハープの演奏会を開いた。町の特産品の一つだったが、多くの農家が被災し、栽培用のハウスが流されていた。普門寺では15年にも演奏会を開いた。石巻市の小学校にピアノを贈ったこともある。

 「1台のピアノがもたらすものは大きい」と文俊さんは言う。

復興、新たな気持ちで

 海岸から近い普門寺の辺りは、津波の危険が著しく高い区域に指定されている。新しい家は建てられず、住民の集団移転が進む。付近に残るのは、文俊さん宅ともう1軒だけという。

 だからこそ、かつての住民らが集まり、思い出を語り合う時間は貴重だ。「竹田さんのピアノは希望のピアノなんです」

 15年以降、竹田さんが町を訪れる機会はなかったが、富山や石川で毎年チャリティーコンサートを開き、収益を現地に贈り続けた。

 今年は3月11日に普門寺で演奏会を開くつもりだった。年齢を考え、現地を訪れるのはこれで最後にしようと思っていた。しかしコロナ禍で延期になった。

 2月、竹田さんが金沢市で開いた追悼コンサートに、文俊さんからのメッセージが届いた。

 「命を守り、絶望的な状況でも希望を持ってあきらめずに生き、行動すれば、必ず思い描く形ができるはずです。震災10年。また新たな気持ちで復興に向かい走り続けます」

 その言葉を聞き、竹田さんは思い直した。自分の使命は音楽を届けること。まだまだできることはある。田島知樹