薄れる大震災の記憶 地震学者が1700回説いた危機

今林弘
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 高知県内の湖沼から巨大津波の痕跡を見つけ、東日本大震災の以前から警鐘を鳴らし続けている地震と地質の研究者がいる。高知大名誉教授の岡村眞さん(72)。大震災以降も県内外で続けている講演は1700回を超えた。

 「地上は死を意味します」。「死」という言葉に生徒たちが体をこわばらせた。2月中旬、高知市の高知南中学で開かれた防災授業。講師の岡村さんは、南海トラフ地震の巨大津波について説明を続けた。

 「地盤沈下で学校はすぐ海面下になる」「約100メートル先の高知港からがれきや漁船が流れ込む」――。学校がある地区の脆弱(ぜいじゃく)性を挙げ、「校舎の2、3階への避難が唯一の命を守る方法だ」と訴えた。1年生約60人は熱心に耳を傾けた。

 「津波は遠い先のことと考えたり、逃げることを諦めたりする声を聞く」。岡村さんは危機感を募らせる。だから講演はまだまだ続けるつもりだ。

池底にあった衝撃的な痕跡

 岡村さんは南海トラフ沿いにある西日本の約40の湖沼を回り、底に積もる数千年分の泥から、津波が運んだ海の砂などの層を調べてきた。

 土佐市の蟹(かに)ケ池で見つけた痕跡は衝撃的だった。

 県内では江戸時代中期の宝永地震(1707年)が、文献に残るものとしては最大の津波とされてきた。だが岡村さんは池の底で、宝永地震の津波による堆積(たいせき)物の層よりもさらに厚く古い層を発見した。「約2千年前の大地震とみられる。これまでの想定よりもさらに巨大な津波が押し寄せる可能性がある」と推測した。

 地震分野などの世界の研究者が集う日本地球惑星科学連合の2010年の大会(千葉市)で報告した。反響は大きく、調査の現場には全国から地震や地質の研究者が視察にきた。16年度からは中学生の理科の教科書(啓林館)にも調査結果が掲載された。

 だが、11年3月11日。岡村さんが抱いていた大津波への不安は、現実となった。南海トラフでなく、東北で起こった。

 発生1週間後、岡村さんは被災地に入った。宮城県山元町で出会った年配の女性は「ここまで津波が来るとは思わなかった」などと、すぐに避難しなかった理由を挙げた。

 内閣府の専門調査委員会の委員となった岡村さんは、津波から逃げることができなかった理由を調べるよう主張した。12年に公表された内閣府の住民アンケートでは、地震発生直後に津波の到達を意識した人は全体の6割弱だった。岩手、宮城、福島3県の最新の死者数計1万5899人のうち、約9割が津波によるとみられる溺死(できし)だった。

震災の記憶「薄れているのでは」

 「1分以上揺れが続いた時、いつ避難しますか」

 高知県が実施している地震・津波県民意識調査では、「すぐに避難する」とする回答の割合は、大震災前の10年の21・2%から大震災後の13年は71・2%と高まった。だが直近の18年は70・4%で徐々に減少している。

 県の県民世論調査にある同様の設問でも、73・7%(16年)が65・1%(20年)に減り、60代以上は58・6%と低かった。県南海トラフ地震対策課は「東日本大震災の記憶が薄れているのではないか」とみる。

 高知南中学1年の田渕凛海(りんか)さん(13)は、岡村さんの授業を聞いて驚いた。南海トラフ地震が発生した場合は、同校の校舎は安全だから「親に丸1日は学校に迎えに来ないで」と伝えるよう指導された。小学6年で防災士の資格を得たほど防災への関心は高いが、「初めて聞く内容」と話す。

 岡村さんは「東日本大震災では子どもを迎えにいった親が津波に流された報告がある。将来の地震のことを知りたければ過去の地震から学ぶしかない」と話す。(今林弘)

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 〈南海トラフ地震〉 東海から九州沖の海底にある南海トラフとその周辺地域のプレート境界を震源とする大規模な地震。国は東日本大震災を教訓に、最大マグニチュード9級の地震を想定。発生確率は30年以内に70~80%程度という。

 県内の最大想定では26市町村で震度7。19市町村に津波が到達し、津波の高さは黒潮町、土佐清水市の最大34メートル、室戸市などで1メートルを超える津波が最短3分で到達する。四国から紀伊半島沖の同トラフ沿いで起こる南海地震はおおむね90~150年ごとに発生。今年は直近の昭和南海地震(1946年)の発生から75年となる。