震災10年、私ならどうしたか 復興、教訓根付くまで

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山本孝興 東北復興取材センター長、仙台総局長・矢部丈彦
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 死者・行方不明者、関連死を含め2万2192人が犠牲になった東日本大震災から、11日で10年を迎える。避難生活を送る人はなお4万人を超え、福島県では帰還困難区域の大半で解除の見通しが立たない。被災地は、インフラ整備が終わった後、持続可能な地域社会をどうつくるのかという課題と向き合いつつある。

 警察庁などによると、震災による死者は1万5899人。この10年間で3767人が関連死と認定され、今も2526人の行方が分かっていない。

 避難者はピーク時の約47万人から減ったが、今なお4万1241人にのぼる。岩手、福島両県ではプレハブなどの応急仮設住宅に24人が暮らす。5人が暮らす福島県は来年3月末まで期間を延長した。

 国は今年度末までを第1期の「復興・創生期間」と定め、復興増税などで集めた約32兆円をかけてインフラなどの復旧を進めてきた。宅地をつくる高台移転や災害公営住宅の整備は完了。「復興道路」として整備された三陸沿岸道路も今年中に開通予定だ。

 復興庁の設置期限は2030年度まで延長された。25年度までを第2期と位置づけ、心のケアや産業の再生に取り組むが、5年間で投じられる予算は1兆6千億円と大きく減る。

 東京電力福島第一原発事故後、自主避難も含め最大で約16万人が避難した福島県。11市町村に出た国の避難指示は徐々に解除されたが、7市町村に残る帰還困難区域は、一部を除き解除の見通しは立たないままだ。(山本孝興)

東北復興取材センター長・矢部丈彦 「3・11」の教訓根付くまで

 震災遺構を訪ねるたびに、改めて衝撃を受ける。

 むき出しの鉄筋は、ぐにゃりとねじ曲がっていた。校舎の壁は、大きくえぐり取られている。渡り廊下があった場所には、原形をとどめない車が積み重なっていた。

 宮城県気仙沼市の海べりにある気仙沼向洋高校の旧校舎の姿だ。最上階の4階まで達した津波の威力を、思い知らされた。

 生徒や教職員は避難して助かった。私ならどうしていただろうか――。

 東北に取材の拠点を置きなが…

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