一本松と育った子どもたちへ 校長先生、後悔を胸に授業

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大西英正
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 あの日から、10年。街の景色が一変した岩手県陸前高田市で、復興の象徴となった「奇跡の一本松」は柔らかな日差しに包まれていた。

 「一本松のように、夢と希望と感謝の気持ちをもって、大きくなってほしい」

 11日朝、市立高田小学校で開かれた全校集会で、金野(こんの)美恵子校長(59)は子どもたちに語りかけた。

 陸前高田市は津波で壊滅的な被害を受け、死者・行方不明者は1761人。高田小の児童7人も犠牲になった。あまりにも深い傷を残した震災を、どう伝えるべきか。金野さんは迷い続けてきた。

 10年前は、県内の内陸部にある小学校で副校長をしていた。窓ガラスが割れ、余震が続くなか、保護者や教育委員会とのやりとりに追われた。陸前高田市の実家で暮らす両親が気になりながらも、学校を離れられなかった。

 連絡がつかないまま、捜しにいけたのは数日たってから。実家の建物は、流されていた。遺体安置所をまわると、教え子と同世代の子どもが横たわっていた。涙がとまらず、「早く家族に見つけてもらえるといいね」と願った。

 3週間ほどたったころ、父の恒一さん(当時77)、母の房子さん(同74)を別々の遺体安置所で見つけた。

 「ごめんね」。反抗してばかりだったという思いが、こみ上げてきた。

何度も何度も迷って 子どもたちに伝える覚悟

 高校生のとき、教員になりた…

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