孫よ息子よ、夫婦の10年間 ある日、風船が飛んできた

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井上充昌
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 東日本大震災の日。あれから10年、今年は青空が広がり、風もなく穏やかな朝になった。津波で住宅街が壊滅した仙台市若林区の荒浜に11日午前、山田正二さん(74)、ひで子さん(71)夫妻が訪れた。

 10年の間、2人は相次いだ喪失の痛みを抱えて生きてきた。

 「よく笑う明るい子どもたちで、仲がよくて」。正二さんは、荒浜で亡くした孫たちを思い出す。「何をさせてもめんこかった(可愛かった)」

 孫の友太郎君は4歳、純之介君は3歳だった。米農家の正二さんが友太郎君をトラクターに乗せて遊ばせると、友太郎君は大興奮だった。「将来は農家を継ぐんだぞ」。そう声をかけると、「うん」と答えてくれた。純之介君はよく兄の後ろをくっついて歩いた。

 10年前、孫たちが住んでいた荒浜のアパートも津波に見舞われた。約1カ月のうちに、2人と母の久恵さん(当時35)の遺体が見つかった。

 津波で自宅を失った正二さんとひで子さんは仮設住宅に入った。隣の部屋に、妻子を失った長男の真(まこと)さんが住んだ。

 震災から3カ月。地元の寺であった法要で、真さんがあいさつをした。「いつの日か笑いながら妻や子どもたちの写真を見ることができたら」。正二さんは、息子が少しずつ前を向けているんだろうと思っていた。

 2012年3月。月に1度の仮設住宅での飲み会に、いつもは来ない真さんが顔を出した。場にいる約20人はそれぞれ酔いが回って話が弾む。真さんは「おれの父さん、バカなんだから頼みます」と声をかけて回った。

 その翌月、真さんは自ら命を絶った。37歳だった。

 正二さんは警察や消防に事情を聴かれると、体ががたがたと震えた。立っていられず、道路の真ん中に座り込んだ。しばらく何も考えられなかった。

 なんで死のうと思ったのか――。

田んぼで拾った白いカード

 「行ってくっかんね」…

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