10年でも残る偏見 福島のままカフェ、悩む母親を救え

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聞き手 編集委員・大月規義
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 東京電力福島第一原発で事故が起きた後、離れた地域でも、自主避難を「する」「しない」をめぐって、地域や友人、家族の間で「分断」が起きた。その傷を少しでも癒やそうと、福島市のNPOが母親向けの「ままカフェ」を始めて7年になる。スタッフの三浦恵美里さん(44)は、2人の子どもを連れて福島市から秋田県に母子避難した経験を持つ。10年間を振り返った話は、足もとに迫る深刻な問題にも及んだ。

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 ――ままカフェって、どんなところですか。

 「福島で暮らすお母さんがお茶を飲みながら、悩みごとを聞いてもらったり、意見を言ったりする場です。福島、郡山、いわき、白河・棚倉、南相馬、二本松の6カ所で、ほぼ毎月開いてきました。参加者は6、7人のグループに分かれて話し合ってもらいます。いまは新型コロナの影響で1会場5人に制限しています」

 「最近は転勤族のママも参加します。10年たちますが、県外からやってくる人には『放射能、大丈夫なの?』という不安があります。だれかに尋ねたいけれど遠慮してしまうようです。ままカフェで私はファシリテーター(進行役)をしながら、何でも話せる雰囲気づくりに努めています」

 ――悩みや不安は解消するのですか。

 「空気中の放射線量や給食に含まれる放射能について、どこのホームページでデータが得られるかという情報は提供します。肝心なのは、聞く側が心配ごとをきちんと受け止めることです。相談する人が、みな自分と同じような悩みを持っているんだとか、持ったことがあるんだと気付けます。ままカフェでのNGワードは『安全だから!』。考え方の押し付けはしません」

 ――2011年3月の原発事故で、60キロ離れている福島市でも一時、高い放射線量を記録しました。三浦家はどうしたのですか。

 「当時、長男が小学2年、長…

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