第5回がれきの中で見た涙 路傍の女性にカメラを向けた理由

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恒成利幸
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 東日本大震災から10年がたちました。発生直後から現地で取材したフォトグラファーたちは何を思い、ファインダー越しに被災地をどう見つめていたのか。「あの日の写真」を振り返ります。

写真・図版
津波で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上地区で、女性が道路に座り込んで涙を流していた=2011年3月13日午前、宮城県名取市、恒成利幸撮影

 東日本大震災が発生したのは、JR博多駅前にある福岡本部で夕刊当番を終え、一息ついたときだった。

 カメラ一式と防寒着を持って福岡空港からヘリコプターで飛び立ったのが3月11日午後3時半。機内ではラジオが唯一の情報源だったため、現地がどんな状況なのか、テレビはどんな映像を流しているのか気になって仕方がなかった。

 伊丹空港で大阪本社の同僚と合流し、再び東に向かって離陸する頃には辺りは薄暗くなっていた。午後9時ごろ羽田空港に着陸し、その日は朝日新聞社の羽田格納庫で仮眠した。

 翌朝6時、本社の小型機で離陸。被災地を北上し、東京電力福島第一原発仙台市内と海岸線に沿って取材し、福島空港に降りた。ここでヘリに乗り換え、宮城県角田市の河川敷にある臨時ヘリポートまで前進し、タクシーで同県南三陸町に向かった。

 停電で信号機が消えていて…

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