天神で追悼の集いやデモ 3・11から10年

伊藤繭莉 竹野内崇宏
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 東日本大震災から10年となった11日。福岡県内でも、追悼式やシンポジウム、脱原発を訴えるデモがあった。ボランティアで東北へ赴いた人たちは、被災地への思いを新たにしていた。

 福岡市中央区の警固公園では、ボランティア団体「夢サークル」が献花台を設け、追悼の集いを開いた。震災があった午後2時46分には鐘を鳴らして黙禱(もくとう)した。

 献花台の前で手を合わせた福岡市のアルバイト、高山研一さん(67)は震災後に岩手県でボランティアをしたという。「まだ見つかっていない犠牲者もいるから、安らかに、とは言い切れないが、節目に思い出すことで犠牲者の冥福をお祈りしたい」と話す。

 代表の吉水恵介さん(64)は、宮城県女川町でボランティアをしているときに見つけたというこけしを握りしめながら、「こけしを見る度に被災地に行こうという気持ちになる。まだ家族が見つからない人もいて、心苦しい」と話した。

 天神では、福岡市と糸島市を中心に脱原発運動に取り組む16の市民団体で構成する実行委員会が、原発の再稼働反対や稼働停止、廃炉などを求めて集会やデモを開いた。

 集会では、参加者が「10年目の原発事故を忘れないぞ」「原発いらない」などと声をあげた。16団体によるデモは初めてで、横断幕を手に天神を歩いた。

 九州電力本店前では、九電側に稼働中の原発停止や廃炉などを求め、担当者に申入書を提出した。

 集会やデモに参加した九州大学名誉教授の酒井嘉子さん(81)は「政府は原発から再生可能エネルギーへと方針転換してほしい。地震大国の日本では、また事故が起こる。原発は人間がコントロールできる技術ではない」と訴えた。(伊藤繭莉)

 福岡市早良区の西南学院大では追悼シンポジウム「『ひなん』するということ」が開かれた。東京電力福島第一原発の事故を機に福島などから九州に避難している人たちが思いを語った。

 福島県に接する宮城県山元町から福津市に家族で避難した斎藤直志さん(52)は「本来なら背中を押してくれる親や兄弟からも(避難したことについて)冷たい言葉を言われ、憎しみもあった10年でした」と振り返りつつ、「でも少しずつ互いの立場を思いやれるようになった。次の10年はそのすれ違いを埋めていく時間にできれば」と語った。

 震災当時は中学1年生で、家族とともに福島県いわき市から佐賀県鳥栖市に避難している西南学院大の大学院生の金本暁さん(23)は震災翌年、地元で普通に生活する友人と再会し「なんで自分だけ九州にいなければならないのか」と葛藤を抱いたと語った。「色々悩んで避難した人も、とどまった人も間違っていない。どちらも被害を受けるのに、対立が生まれたままになっている。それが原発事故の難しさだと思います」(竹野内崇宏)

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